四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

タグ:高松市香南町

香川県園芸総合センター2022菊花展
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住 所:香川県高松市香南町岡1164-1

入園料:無料
開園時間:午前9時~午後4時30分
休園日:12月29日~1月3日
電 話:087-879-7355
運営会社:
昭和62年(1987)創設
H P:https://www.pref.kagawa.lg.jp/noshi/soshiki/ensou.html
駐車場:無料
撮影日:2022年11月14日

音谷池
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洪水吐け
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大坪川
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取水口
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管理者:香南町土地改良区
河川名:本津川水系大坪川
住 所:香川県高松市香南町由佐

施 工:
改 築:
堰堤長:210.0m
堰堤高:12.7m
貯水量:383千立方m
目 的:「A」灌漑、灌漑面積:60.0ヘクタール(香南町由佐・池内・西庄・綾川町畑田)
形 式:アース
解説等
 香南町南部の丘陵地帯は、昔から水には随分苦労をしてきた地域であり、降雨が少ない年には、池の満水も難しく、勿論田畑も30%という年も屡々であった。
 音谷池は、古くは合子池と呼ぶ小池で、灌漑面積も五ヘクタール位であった。。碑文によれば、寛永、正保(1624~47)のころ、旧池内村内、数戸の溜池掛かり及び新開田を加えて37.2ヘクタール、内宅地2.6ヘクタール(宅地に水ブニは不思議に思われるが、水に困った地域であるため、宅地まで水費を負担して水ブニ=水利権を確保した)を水掛かり地区にして、この池を増築して音谷池と改称した。ここにおいて古掛かりという特権地区が誕生したものとおもわれる。水はいつでもサンザイ(自由に)使い、池の諸費用はいっさい負担なしという特権階級であり、元の合子池掛かりを指している。
 この池が現在の規模となったのは、明治三十二年~三十三年(1900)の増築工事によるものである。当時、池西村(現高松市香南町池西)の豪農妹尾彦六は年々の日照りによる惨状を見かねて村内地主を説得、明治三十二年八月、工費一万二二四〇円をもって翌年二月増築工事を完了した。堤高4.5mを嵩上げ、堤長210m、堤高13m、池面積は二倍、貯水量三十八女三千余トンという立派な入れ物を完成したのである。しかし、天水頼りで集水地域の狭小な地形では満水を期待することも少なく、たまたま満水すれば二年間は配水に心配がないとまでいわれてきた。
 当時、丸岡徳平、池内芳三郎両氏は、高台地域の雨水確保のため、東南の山腹に他の池と組み合わせ、音谷池より安原村(現高松市塩江町安原)まで新水路を開設することを計画した。その一期工事としてまず大字岡(現高松市香南町岡)の稚池より音谷池に至るまで各池間の取水契約要旨を定め、明治三十二年一月着工、同三十四年一月、新水路金取引簿が『丸岡家文書』に記されていることを思えば、同三十三年末工事が完了したものと推測される。
 この新水路各池契約要旨の石碑は、当時高根山入口新水路分水地点の南側山麓にあったが、現在は文田池堤防に移設されている。石碑には、取水順序と分水量及び負担割等が詳しく記されている。
 音谷池・夫婦池は最終の取水順位におかれ、負担は三分三厘(33%)と定められている。しかし、降雨が大量にない限り、依然として水不足は解消されなかった。ところが皮肉にも、大正七年(1916)九月、台風の豪雨によって同月十四日、堤防の決壊という大惨事が起こった。濁流は十戸の農家を押し流し、谷筋の水田20ヘクタールを吞み込んだ。
 音谷池を水源とする農家は途方にくれたのである。先の嵩上げ工事を推進した妹尾彦六は、当時の池西村長として再び復旧の先頭に立ち、他の地主と共に「音谷池耕地整理組合」を設立、自ら組合長となって、大正七年十二月早くも復旧工事に着手、県の指導援助と関係者一丸となって、寝食を忘れ努力の甲斐あって、遂に大正九年五月、五万八千七百五十四円をもって完成することが出来た。(当時米一俵二十円、八年の米騒動が起こったために米価も一段と高くなっている)こうして音谷池は元の姿に復帰した。
 新水路の経費負担をしながらも、降雨に恵まれない限り干害からの脱出は夢でしかなかった。常習旱魃地帯の悪名を返上できたのは、寛永初期より多くの先輩が提唱し、永年の悲願であった内場池が昭和二十八年(1953)三月完成。引き続き施工された池西幹線水路の新設によってである。昭和三十三年、遂に綾南町(現綾川町)畑田に至る一万一千七十余メートルが完了した。
 音谷池は幹線上流部にあるため、昭和三十二年より願望久しかった内場池及び香東川の水が貯水できるようになった。長年の夢が現実のものとなり、干禍の憂いは遠くに失せて、年々の満水に豊穣の秋を関係者の犇々と窺われるようになった。
 昭和三十六年(1961)十一月、第一期工事として堤体前付け及び樋管取り換え工事着手。同三十八年三月完了。
 各圃地にはパイプライン化によって給水されているようです。用水路が見つかりません。
資 料:讃岐のため池誌 平成十二年三月三十一日発行、

撮影日:2022年1月26日
駐車場:無し
香川県内52位の貯水量ダム池。≪1位満濃池、2位椛川ダム、3位内場ダム、≫

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