四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

タグ:高松市国分寺町

根来寺~国分寺の遍路道沿いに露出した白い岩盤層
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住 所:香川県高松市国分寺町国分1607

 五色台には、山上部は、安山岩類(サヌカイト+讃岐岩質安山岩)に覆われているが、その下に広がる斜面には色々な地形が広がる。山頂を取り囲む安山岩の崖の下の斜面では、麓に近いほど傾斜が緩くなり、風化した花崗岩(マサ)からできている。風雨によって崩壊し、崩壊土砂は土石流となって、谷を削って平野に流れ山麓に土石流扇状地を形成する。高松市鬼無町・国分寺町などは土石流扇状地である。
 讃岐安山岩の下側には、火山の爆発によって出来た陥没地(カルデラ)に凝灰岩・凝灰角礫岩の層が推定される。崩壊・浸食などによって、所々に凝灰岩・凝灰角礫岩の白い層が露出している。
 上部には、通称カッパドキアというキノコ型の岩石がある。

資料等:五色台新聞2020年3月25日号より
駐車場:スペースあり
撮影日:2023年1月12日

橘池
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管理者:
河川名:本津川水系日名代川
住 所:香川県高松市国分寺町橘

施 工:伝奈良時代
堰堤長:280.0m(北)
堰堤高:11.60m
貯水量:555.9千立方m
目 的:「A」灌漑、受益面積:68.4ヘクタール
形 式:アース
解説等
 奈良時代には既にできていたようで、その位置は現位置よりもっと下流に堤防を築き、浅くて広い池だったようです。ところが、この池は浅い池でありながら、ゆる(取水施設)付近は何度築いても決壊するので大変困っていました。寛永年間(1624~1645 年)の大干ばつの年、前年に堤防が切れていたため、池には全く水が溜まらず、一粒の米もとれませんでした。時の領主生駒高俊は家臣西嶋八兵衛に命じて現在地に池を築造しましたが、この地の地名が橘だったので、橘池というようになったと伝えられています。
 下流の池跡は、広大で肥沃な新田が約六十町歩も開拓されたといわれています。しかし、この新田開拓によって更に水不足をきたし、岡内家七代彦左衛門が文政四年(1821)に羽間池より橘池まで約二㌔の羽間掛井手(導水路)を掘り、羽間池の余水を導水することとしました。せっかく開拓した掛井手も距離が長く、勾配がほとんどない状態で、思うように導水できないため、しだいに使われなくなりました。
 その後、江戸時代に三回(1794年、1832年、1856年)池の改修がなされた記録がありますが、それ以降は、大規模な工事は行われませんでした。
 今のため池は、昭和三十年度(1995)から平成二十年度(2008)までに各種事業により全面改修が行なわれ、立派なため池となっています。 
資 料:現地記念碑、WEBなど、

撮影日:2023年1月12日
駐車場:無し
附 則:香川県内では34番目の大きさの池。旧国分寺町内では一番大きい池。(コンクリート堰堤も含む)

新居宮池親水公園
池 名:宮池

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管理者:高松市国分寺町土地改良区三ヶ所池水利組合
河川名:
住 所:香川県高松市国分寺町国分

施 工:
改 築:昭和三十五年に南側堤体老朽化による修築工事。昭和四十四年西側堤体修築工事。平成二年~八年、老朽化により堤体整備工事。
堰堤長:本堤442.0m
堰堤高:9.1m
貯水量:138.3千立方m
目 的:「A」灌漑、「F」洪水調節、「R」レクリェーション(周遊約700m)。
形 式:アース
解説等
 国分寺町新居東北部に位置している。数百年前に築造されてと伝えられている。
 以来永きにわたり東北に袋山、北に大平山を水源とした二十三ヘクタールの水田を潤す農業用ため池である。
資 料:現地石碑、讃岐のため池誌など、
撮影日:2021年7月6日
駐車場:無料(池西側)、神社に駐車、
周辺施設:楠尾神社


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