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タグ:遍路道

屋島寺への遍路道下山Ⅱ
(一宮寺~屋島寺への遍路道)
住 所:香川県高松市屋島中町

撮影日:2022年10月27日

詳 細:12:50屋島寺山門前スタート。石畳み途中13:02 続く 13:29不喰梨着 14:36琴電屋島駅着

不喰梨
 空海が屋島に登ったとき、梨が美味しそうに熟していたので一つ所望をなさいました。でも持ち主は「うまそうに見えてもこれは食べられない不喰の梨です」と、噓を言ってことわりました。その後、この梨は本当に石のように固くて食べられなくなったと伝えられています。【現説明版より】
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屋嶋城城門への道
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加持水
 空海が、仏天を供養し誦呪加寺(呪文を読み仏の加護保持を祈禱すること)をしたといわれる水です。
 旱魃で各地の池や井戸水が枯れても、この湧き水は絶えることがありません。
 また、路傍の石碑に字が刻まれていますが、空海の筆跡だと伝えられています。【現地説明版より】

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車ではここまで(空き地があって駐車可)
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遍照院
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道池
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琴電屋島駅
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ダム名:仲池(通称:長池)
河川名:大谷川
管理者:高松市屋島仲池土地改良区
住 所:香川県高松市屋島西町
堰堤長:269m
堰堤高:6.2m
総貯水量:21千立方m
目 的:灌漑・洪水調整
形 式:アース
解説等
 宝暦年間(1755頃)に高松藩が編さんした「池泉合符録」には、片元村の「仲池」と記され、水掛け高が八十四石四斗五升五合とある。また、戦前(第二次世界大戦)の記録によると、池面積は、一町三反八畝二十歩(約1万三千八百平方米)とある。
 二百五十年以上の昔、灌漑用水の不足に耐えかねた先人たちがため池の築造を計画し、老若男女を問わず風雨にもめげず寸夜を日についで厳しい労働により創築したと伝えられる。
 すべてを人力にたよる当時の土の掘削、運搬、盛り土、突き固めなど人々の苦労は想像するに余りある。
 こうして築造された仲池は屋島山の南嶺を流れる大谷川などの流域の水を受けて下流に広がる田地を潤し、春は青々と秋には黄金の波をうたせ農業用水だけでなく屋島中央部のオアシスとして、更に大雨時には洪水を防ぐ調整池としての役割をも果たしてきた。
 また、この上(北側)に明治時代に開校した屋島小学校があるが、手狭となった昭和五十五年に仲池の一部(二千六百平方米)を校地として割愛したものの、二百余とされる屋島山ろくのため池群のなかでも最も大きい。
 過去、何度か堤体の補強、樋管替え、取水施設の改修などの工事のほか安定的に水の確保を図るため二級河川新川からポンプによる揚水等を行ってきたが、中略、堤体の漏水や取水施設などの老朽化が目だつように至った。中略、改修工事を行った。
 尚、この池の堰堤は、屋島寺へのへんろ道に当たる。ケーブルカーやドライブウェイが無かった当時は、此処から上って行った。現在も歩き遍路さんたちは、今日も上がって行っていた。道標も立っている。
着工/竣工:
改築 着工:平成四年九月/竣功:平成七年三月
資 料:現地石碑
撮影日:2019年11月18日
駐車場:無し
近隣施設:屋島寺、大宮八幡神社、高松市

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