神社名:葛城神社
創 建:天喜年間(1053~1058)
創 基:
社 格:
住 所:徳島県鳴門市北灘町粟田字池谷2
電 話:
由 緒
天智天皇が阿波国から大和国へ向かう際、当地で落馬し目を負傷、粟田の地で療養したと伝わる。
石碑より
當神社□□著者□所世人知也
而其為社地従来設備不完埃村
人常遺憾之於是有志者激勱欲
改脩焉偶在多方信者讃同其以
醵金補助工資且西内藤倉二氏
献礎石乃明治四十一年春起工
村人交出助工事始一千工埃而
西内氏常□役遂至大正四年五
月竣工其所成就築瑞籠尚擴祠
前規模大改奮觀胘曜人目是雖
一依 神徳抑亦主幹者熱心所
致也於是記其大要以傳亍後昆
云爾
「め」の神様 葛城神社
葛城神社は「めの神様」として徳島県鳴門市で有名なかみさまです。「目の神様」のいわれは、第三十九代天智天皇が九州に船で巡幸される時に一言主神もご一緒し、途中で粟田(葛城神社がある場所)の浜に立ち寄り、滞在されました。ある時、鯉や鮒の釣りをしに渓谷の上流へ向かう途中、乗っていた馬が葛藤に躓き、一言主神は馬から落ちてしまいます。その際、竹の切り株に目をぶつけてしまい、このことが原因で目を患われた。一言主神は養生のため、一人粟田に残ります。ある日、井戸水と薬草で目を洗ったところ、眼病が治ったといわれており、喜んだ一言主神は眼病で苦しんだことを忘れず、目の病で苦しんでいる人達のために、徳島・葛城神社の祭事として、加護することを誓われました。以来、氏子区域には男竹と葛藤は生えることなく「葛城神社で祈願したところ目の病が治った」というひとが参拝者が多いことから、「鳴門の目の神様」として有名になりました。
四国曼荼羅霊場六番札所
駐車場:無料
撮影日:2024年3月15日
資料等:現地石碑、説明版、Wikipediaなど