三谿駅
住 所:香川県高松市三谷町
マピオンマップ↓↓↓↓
https://www.mapion.co.jp/m2/34.27789532259796,134.06957117837032,19
解 説:
南海道 讃岐(香川県)には引田(東かがわ市馬宿)・松本(さぬき市田面)・三谿(高松市三谷)・河内(坂出市府中)・甕井(多度津町三井)・ 柞田(観音寺市柞田)の六駅があったとされる。
古代三谷は、延喜式二十八兵部省、諸国駅伝の条に記載された官道、五畿七道に通ずる南海道の駅馬の所在地であった。
畿内から紀伊~淡路~阿波~讃岐~伊豫~土佐へと、官吏往来の公道であり、三谷は都から十番目、讃岐国府河内駅の手前で、中央からの役人の歓送迎の行われたところであった。馬は四頭常備してあり、宿舎、倉庫、馬小屋、世襲の駅長の住宅等駅舎は瓦葺であった。
一般庶民は駅馬を利用することは出来なかったが、古代平安時代の終わりまで都と地方を結ぶ重要な交通ルートであり文化伝播の経路であった。【高松市三谷町歴史研究会 石碑より】
住 所:香川県高松市三谷町
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南海道 讃岐(香川県)には引田(東かがわ市馬宿)・松本(さぬき市田面)・三谿(高松市三谷)・河内(坂出市府中)・甕井(多度津町三井)・ 柞田(観音寺市柞田)の六駅があったとされる。
古代三谷は、延喜式二十八兵部省、諸国駅伝の条に記載された官道、五畿七道に通ずる南海道の駅馬の所在地であった。
畿内から紀伊~淡路~阿波~讃岐~伊豫~土佐へと、官吏往来の公道であり、三谷は都から十番目、讃岐国府河内駅の手前で、中央からの役人の歓送迎の行われたところであった。馬は四頭常備してあり、宿舎、倉庫、馬小屋、世襲の駅長の住宅等駅舎は瓦葺であった。
一般庶民は駅馬を利用することは出来なかったが、古代平安時代の終わりまで都と地方を結ぶ重要な交通ルートであり文化伝播の経路であった。【高松市三谷町歴史研究会 石碑より】