四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

タグ:徳島県

寺 名:玉厨子山・泰仙寺・薬王寺奥の院
本 尊:如意輪観世音菩薩
開 基:
創 建:
宗 派:
札 所:
住 所:徳島県海部郡美波町山河内字西山
マピオンマップ↓↓↓↓ 泰山寺登山口
マップコード↓↓↓↓
427 837 217*10
電 話:
由 緒:
解説等:薬王寺奥の院。【薬王寺が文治四年(1188)の大火に際し、本尊薬師如来は、当時奥之院泰仙寺(玉厨子庵)のある玉厨子山へ自ら火難をさけて飛び去られ毎夜光を放たれたとされその後伽藍の再興がなり入仏落慶の日に玉厨子山より光を放って帰られ、厨子に入り新仏と向かい合って鎮座なされ、その厨子は自然に扉を閉じて開くことなく以来秘仏となったとされている。】 
文化財:
資 料:WEBなど、
参照HP:
駐車場:無(空地有り)
関連記事:
撮影日:2019年3月1日
近隣施設:薬王寺

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ここより登れます。少し大回りになるが楽かもしれません。
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寺 名:寶生山 福生寺
本 尊:聖観音
開 基:
開 山:
宗 派:真言宗大覚寺派
札 所:
住 所:徳島県吉野川市山川町川田406
マピオンマップ↓↓↓↓
マップコード↓↓↓↓↓
160 220 035*47

電 話:0883-42-6019
由 緒:
解 説:阿波駅路寺八ヶ寺(蜂須賀家政が定めた徳島藩独特の制度) 【駅路寺は阿波九城(廃城)との関連で設置されたとする説が有力。】川北(吉野川北側)・伊予(吉野川南側)・淡路・讃岐・土佐の五街道に沿いの真言宗のお寺が選ばれた。
 伊予街道(吉野川南岸)の駅路寺。
文化財:
資 料:徳島大学総合科学部 人間社会文化研究【徳島藩駅路寺制に関する一考察】下記ページなど、
H P:参照PDF file:///C:/Users/user/Downloads/LID201202222002.pdf
駐車場:無料(境内内)
撮影日:2019年1月24日

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名 称:西川田の大グス
樹木名:楠
指定区分:吉野川市指定文化財 天然記念物
指定日:平成九年(1997)九月十七日
調査日:2011年6月10日
樹 齢:約800年
樹 高:22m
胸高径:12.4m
枝張り:
場 所:楠木神社
解 説:
住 所:徳島県吉野川市山川町槻原27-2
マピオンマップ↓↓↓↓
マップコード↓↓↓↓
160 220 063*34
資 料:現地説明板、人里の巨木たち、
撮影日:2019年1月24日
関連記事:寶生山 福生寺、 

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名 称:阿波の土柱(波濤ヶ嶽)
住 所:徳島県阿波市阿波町北山
場 所:マピオンマップ↓↓↓↓
マップコード↓↓↓↓
160 310 665*21
景観指定:国の天然記念物
指定日:昭和九年(1934)五月一日
解 説
 この地は、約100万年前から70万年かけて阿讃山脈から流れ出た土砂が何層にも堆積してできた砂礫層が、断層の活動により隆起した場所。土柱はその砂礫層が浸食してできたものである。
 雨水が、露出した砂礫層の斜面の窪みを流れて溝をつくり、雨ごとに岩石や土砂が流され溝を深めてゆく。
 土柱は、硬い岩石や礫層のある抵抗力の強い部分が浸食を免れて、土の塔やカーテン状の柱を多数形成した特異な景観であり、今もなお、自然の影響を受けその姿を変え続けている。
 この地の土柱は、波濤ヶ嶽で、昭和九年(1934)五月一日に国の天然記念物に指定されている。この他にも、燈籠嶽・不老嶽・莚嶽・橘嶽が周辺に散在している。
 遊歩道完備、途中・山頂にも便所完備している。写真は、正面及び下から上から撮りました。
その他の指定:土柱高越県立自然公園
資料等:現地説明板、
駐車場:無料
撮影日:2019年1月24日
周辺施設:高越山、 

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寺 名:速成山・報恩寺
本 尊:愛染明王
開 基:
創 建:平安時代
宗 派:真言宗御室派
札 所:新四国曼荼羅霊場 第71番札所、阿波西国三十三観音霊場第29番
住 所:徳島県吉野川市鴨島町飯尾728
マピオンマップ↓↓↓↓
マップコード:160 207 894*45
電 話:0883-24-2949
由 緒
 
文化財
 報恩寺の板碑 吉野川市指定有形文化財(5基) 昭和56年12月1日指定
 ※報恩寺元享元年(1321年)月輪弥陀三尊種子板碑
 緑泥片岩製。半折接合。地上高100cm、幅(20cm以下)43.5cm、厚さ(20cm下)8.5cmである。身部中央に月輪の中に弥陀三尊種子を刻む。銘文は身部下部に「元享元年 六月□□ 廿六日 死去」と刻む。
 ※報恩寺康永元年(1342年)弥陀三尊種子板碑
 緑泥片岩製。上部欠失。地上高135cm、幅(40cm下)36cm、厚さ(20cm下)8.5cmである。身部上面に弥陀三尊を刻み、下に「康永元季 歳次壬午 敬白(以下不明)」と刻む。
 ※報思寺応永4年(1397年)弥陀三尊板碑
 緑泥片岩製。完全。総高76.5cm、幅(肩)22.2cm、厚さ(30cm下)4.5cmである。頂部を山形に切り下に二線と輪郭を刻む。身部上に弥陀三尊を刻み下に銘文「応永4年 10月3日 □□□為□□ 敬白」と刻む。注.応永4年の文字は異体字にて刻む。
 ※報恩寺板碑その他
 門を入って右に寝ている板碑がある。緑泥片岩製。総高149cm、下幅42cmである。
 ※報恩寺前道路脇弥陀三尊種子板碑
 緑泥片岩製。完全であるが風化が進む。地上高57cm、幅(30cm下)33.5cm、厚さ(30cm下)12.3cmである。身部正面に弥陀三尊を刻む。
資 料:現地説明板、Wikipedia、鴨島町の板碑と地名考、
駐車場:無料
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 大正時代の喜劇俳優。1876年4月12日徳島県吉野川市鴨島町で生まれる。三十一歳で曾我廼家五郎一座に入門し曾我廼家五九郎を名乗った。1940年7月7日(64歳没)
撮影日:2018年12月14日
近隣施設:藤井寺

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