十善地の六十一庚申(通称小倉の六十一庚申)

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場 所:徳島県阿波市阿波町小倉345

塔 型:自然石を用いた文字塔の青面金剛が58基、像塔の青面金剛が2基、奉供養の文字塔が1基、寛文6年(1666)1基 元禄7年(1694)1基 元文1年(1736)1基
由 来
 庚申塔の数を61とするのは,庚申の日が六十一日目に回って来ることに由来する。
 東西に各々側に二十一基、北側に十九基、計六十二基が三面に垂立する自然石石の庚申塚で正面中心塚は高さ180cm.、巾37cm、厚さ24㎝で、元禄七年(1694)講中の建立です。
 この地は、砂礫集積地だったものを明治十八年(1885)近在に散在する庚申塚を移転し、六十一庚申願成寺和上が入魂したといわれている。
 庚申信仰は中国道教よりの輸入で平安中期より行われて、明暦二年(1656)の阿波藩指示により庚申信仰が高まり、庚申碑大部分は元禄・宝永・正徳年間の建設で、庚申の日の夜住民が集まり人間の身体にひそむ三尸虫が眠ると天の神に悪口を告げるというので、鶏が鳴くまで雑談したといいます。
 後転じて、悪霊邪鬼を防ぐお祈り、道中の安全、豊作祈願と庶民信仰の花形となりました。
 したがって、祭神は道祖神猿田彦、仏教青面金剛と転化し、明治初期まで続けられたのです。
 したがって部落の入り口の辻などに常夜燈と共に建てられています。【阿波町教育委員会】
建 立:
駐車場:無
資 料:阿波市の庚申塔PDF、現地説明版など、
撮影日:2022年11月17日