日柳燕石(くさなぎえんせき)と呑象楼<><> |
日柳燕石(くさなぎえんせき)は讃岐の国榎井村に生まれ石崎近潔・三井雪航・岩村南里・奈良松荘などに学び恩師の二人が勤皇家で有ったため生涯に大きく影響を受けた。
21歳で家督を継ぎ33歳まで遊興・博徒と知られた反面、勤皇の志篤く大和十津川義挙に参加すべく元気な若者を集め待機していたが大和義挙が不首尾に終わったが為に出発を取りやめた。
高杉晋作も下関で武士以外の若者を集め奇兵隊の組織を作ったのも燕石の意中を表している。
高杉晋作が幕吏に追われ燕石を頼って来て榎井に亡命したのをかくまい潜匿(長谷川佐太郎の家(今は丸尾本店という造酒屋)・逃亡させたとがから高杉の身代わりになり4年間投獄された。出獄後に上洛して木戸孝允と行動を共にして軍記方として北陸に従軍中に越後柏崎で病死した。墓は新潟県柏崎小学校西側にある。参考資料:現地説明板などによる。
アクセス:高松からは旧国道32号琴平交差点マルナカ琴平店裏側と榎井小学校との間
写真は2009年10月16日撮影
呑象楼
燕石の銅像
説明板
燕石の銅像
説明板