【小足谷接待館と傭人住宅】 |
明治期に入って急速に鉱業の近代化が進む中で、それに伴う各界の要人が頻繁に来山するようになった。そこで明治34年(1901)一般人が経営していた「泉亭」を改装して別子接待館として営業を開始した。因みにこの年の10月には住友家15代家長(友純公)が宿泊されている。この煉瓦塀も恐らくその時点で築かれたものであろう。
接待館周辺には、煉瓦塀を廻らした邸宅跡が残っている。歴代の採鉱課長・醸造課長・など20棟ほどの傭人住宅やクラブなどが立ち並んでいた。以上の記事は現地説明案内板より転載しました。
写真は、2010年8月16日撮影





