四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 愛媛県新居浜市

寺 名:龍宝山・明正寺
本 尊:聖観音
開 基:
創 建:
宗 派:真言宗善通寺派
札 所:新四国曼荼羅霊場二十九番札所
住 所:愛媛県新居浜市黒島136

電 話:0897-46-3039
由 緒
 下記HP参照
資料等:Wikipediaなど、
駐車場:無料
H P:http://www.nbn.ne.jp/~meishoji/
関連ブログ:善通寺与田寺
撮影日:2020年8月9日

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深尾権太輔墓
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ダム名:鹿森ダム
ダム湖名:別子の湖(べっしのみずうみ)
河川名:国領川水系足谷川
左岸所在地:愛媛県新居浜市立川町
マピオンマップ↓↓↓↓

堰堤長:108.6m
堰堤高:57.9m
総貯水量:1590千立方m
目 的:FIP(治水・利水・発電)
形 式:越流型直線重力式コンクリートダム
ダム事業者:愛媛県
発 電:住友共同電力㈱山根発電所 ダム水路式 最大出力:6.700kw
着手/竣工:/昭和37年(1962)6月年竣工
四国堰堤ダム88箇所第56番堰堤札所
ダムカード:Var.1.0(2015.06)
解説等:国領川の相次ぐ氾濫に対する治水、工業都市新居浜市の工業用水への利水を主な目的とし、多目的ダム。
こだわり技術:東平発電所で利用された水は、国領川に設置された鹿森ダム(愛媛県)に貯留されます。
 山根発電所は、この水を使って最大6,700kWの発電を行います。
 発電後の水は新居浜市の工業用水およびかんがい用水に利用されています。
アクセス:
近隣施設:道の駅「マイントピア別子」、東平「東洋のマチュピチュ」
資 料:ダム便覧などから参照しました。
撮影日:2014年8月27日
記事訂正日:2016年11月8日

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第一青龍橋・第二青龍橋
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管理棟
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旧広瀬家住宅 重要文化財(建築物) 平成十五年五月三十日指定
愛媛県新居浜市上原2丁目 
電話:0897-40-6334
入場料:520円(新居浜市広瀬歴史記念館含む)
 旧広瀬邸は、「別子銅山を支えた実業家の先駆的な近代和風住宅」として国指定の重要文化財になった。
 母屋は明治十年建築、明治二十年の現在地に移築、新座敷と庭園は明治二十二年に建築・造園され、母屋二階の望煙楼からは、新居浜市を一望することができます。邸宅は伝統的な日本建築様式を持ちながら開国により西洋から輸入されたマントルピース、洋式便器、板ガラス、避雷針といった新しい文化が取り入れられており、そのふたつが見事に調和しています。そこに、西洋の進んだ技術により別子銅山を近代化した広瀬宰平の「遠大る計画」と「進取の気性」の思いを垣間見ることができます。

 記念館の概要
 幕末・明治の動乱期に、政府による接収や住友の経営難による売却から別子銅山をまもり、その開発の近代化を推進した「広瀬宰平」。彼はまた、わが国の産業の育成にも力を注ぎ国家の発展に貢献しました。
 この記念館は、宰平の足跡を通して新居浜の生い立ちと日本の近代産業の歩みをたどる施設です。
 展示館
 展示室入口にある現代の望煙楼と称した象徴空間では、南北に赤石連峰と燧灘の眺望を満喫することができます。そして、別子鉱山鉄道の切り通しを再現したジオラマを抜けると、宰平の人生がいくつかのテーマー毎に映像や実物資料、パネルを用いて紹介しています。
 叔父に伴われ9歳にして初めて別子銅山に赴いて以来、その経営維持に奔放し、採鉱・精錬や陸運の近代化を推進するなど、わが国殖産興業に尽力した宰平の姿がここにあります。
休館日:月曜日(祝日は翌日)、12月29日~1月3日
開館時間:9:30~17:00
駐車場:広瀬公園を使用(無料)
撮影日:2014年8月27日
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記念館へ
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 広瀬宰平(ひろせさいへい)像
 明治三十一年、宰平の古稀記念として住友家から贈られ、昭和十八年、戦時供出された。平成十五年春、高村光雲の木型を用いて東京芸術大学の手で復元されました。
年譜
文政十一年(1828) 近江国に医者北脇理三郎の次男として誕生
天保七年(1836)  叔父に伴われ、別子銅山に赴き、二年後勤務
安政二年(1855)  広瀬義右衛門の夫婦養子になる
慶応元年(1865)  別子銅山支配人に就任
明治十年(1877)  住友家総代理人(後に総理事)となる
明治二十四年(1891)別子鉱山鉄道敷設に着手、同二十六年竣工
明治二十五年(1892)民間人として初めて明治勲章を受賞
明治二十七年(1894)住友家を依願退職、三年後に須磨に隠棲
大正三年(1914)  死去、享年八十七歳
【大阪商工会議所・大阪株式取引所の設立発起人、関西貿易社・大阪製銅会社の設立発起人、住友家法を制定、大阪商船設立初代頭取、住友近江製糸場設立、その他】
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マイントピア別子東平(とうなる) 愛媛県新居浜市立川町
 マイントピア別子東平(とうなる)は、「東洋のマチュピチュ」とも呼ばれ、産業遺産観光地となっています。
 東平は、大正5年から昭和5年までの間、別子銅山の採鉱本部が置かれた所で、地中深くから掘り出された銅の鉱石を坑内電車で東平まで運搬し、そこで選鉱した後、貯鉱庫に貯め、索道を利用して、現在のマイントピア別子(道の駅)のある端出場へと輸送していた中継所となっていたところです。
 最盛期には、社員・家族を含めて約5,000人が周辺の社宅で共同生活する鉱山町でもあり、病院や小学校、郵便局、生協、プール、娯楽場、接待館などの施設も整備され、一時期の別子銅山の中心地として賑わっていました。
 県道からのアクセスは、道幅も狭く十分気をつけて運転してください。尚、道の駅からバスで行けるようです。確認してからお出かけください。見学は無料だと思います。(当地には、食べるものは売っていません。持っていきましょう。)

資 料:下記サイトなど
新居浜市観光サイト
撮影日:2014年8月27日

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【別子ダム】
 ダム名:別子(べっし)ダム
 ダム湖名:
 川名:吉野川水系銅山川
 住所:愛媛県新居浜市別子山
 堰堤長:134m
 堰堤高:71m
 湛水面積:27ha
 目的:IP(工業用水・発電)
 形式:重力式コンクリート
 ダム事業者:住友共同電力株式会社
 発電:住友共同電力株式会社東平(とうなる)発電所 一般水力 発電形式(落差を得る方法):ダム水路式、発電方式(水の利用方法):貯水池式、認可最大出力:20000kw 常時出力:5900kw
 電力を発生したのち、鹿森(しかもり)ダムに放流される。鹿森ダムは、愛媛県新居浜市立川町にある、二級河川国領川水系足谷川に建設されたダム

 着手/竣工:昭和36年(1961)/昭和40年(1965)
四国堰堤ダム88箇所第66番堰堤札所

 周辺施設:道に駅「マイントピア別子」・温泉施設「ヘルシーランド別子」
 資料:現地説明板&ダム便覧&Wikipedia&電力会社HPなどから参照しました。
 撮影日:2012年10月16日
 場所:ワイワイマップ『池・ダム湖のmap 』にスポット投稿します。

 下流域
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 上流域
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 管理棟・道路の拡幅工事中
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