神社名:亀山八幡神社
主祭神:応神天皇、神功皇后、姫太神
創 建:延長四年(926)
住 所:香川県小豆郡池田町(現小豆島町池田)
由 緒:『日本書紀』によると応神天皇は即位22年9月に、行幸の旅に出た。淡路島を経て小豆島に上陸した。『日本書紀』には具体的記述はないが、小豆島には次のような伝説がある。応神天皇が最初に上陸したのは吉備ケ崎で、付近で休息した(伊喜末八幡神社)。同地より再び乗船し、沿岸を周って双子浦の潮土山(富丘山)の麓に停泊して上陸した(富丘八幡神社)。景勝地であったのでこの場で宿泊した。宿泊した場所に柏の木を植えた(宝生院の真柏)。翌朝、陸路、池田の里に向かい、途中の八幡山にて島玉神を祀った(島玉神。孔雀園跡地)。生田の森から乗船した(亀山八幡神社)。三都半島を超えて、内海水木の御荷ケ崎(鬼ケ崎)に着船した。そこから北へ向かい、奇勝といわれる神懸山(寒霞渓)に登山。そこで狩猟した。下山して馬目木台(宮山、亀甲山)に至る。再び狩猟してここに宿泊した(内海八幡神社)。翌朝、旭峠を超えて、橘港より乗船。吉備に向かおうとするが、風波のため、福田港に寄港した。突然のことだったので、田中に丸木と刈穂による行宮を建てた(福田八幡神社)。以上、主に『香川県史蹟名勝天然記念物調査報告 第3巻』に依った。
文化財等:下記に記載
近隣施設:道の駅小豆島ふるさと村、国民宿舎小豆島
撮影日:2013年8月6日
場 所:スポットノート『神社祠map/樹木map』に投稿します。
主祭神:応神天皇、神功皇后、姫太神
創 建:延長四年(926)
住 所:香川県小豆郡池田町(現小豆島町池田)
由 緒:『日本書紀』によると応神天皇は即位22年9月に、行幸の旅に出た。淡路島を経て小豆島に上陸した。『日本書紀』には具体的記述はないが、小豆島には次のような伝説がある。応神天皇が最初に上陸したのは吉備ケ崎で、付近で休息した(伊喜末八幡神社)。同地より再び乗船し、沿岸を周って双子浦の潮土山(富丘山)の麓に停泊して上陸した(富丘八幡神社)。景勝地であったのでこの場で宿泊した。宿泊した場所に柏の木を植えた(宝生院の真柏)。翌朝、陸路、池田の里に向かい、途中の八幡山にて島玉神を祀った(島玉神。孔雀園跡地)。生田の森から乗船した(亀山八幡神社)。三都半島を超えて、内海水木の御荷ケ崎(鬼ケ崎)に着船した。そこから北へ向かい、奇勝といわれる神懸山(寒霞渓)に登山。そこで狩猟した。下山して馬目木台(宮山、亀甲山)に至る。再び狩猟してここに宿泊した(内海八幡神社)。翌朝、旭峠を超えて、橘港より乗船。吉備に向かおうとするが、風波のため、福田港に寄港した。突然のことだったので、田中に丸木と刈穂による行宮を建てた(福田八幡神社)。以上、主に『香川県史蹟名勝天然記念物調査報告 第3巻』に依った。
文化財等:下記に記載
近隣施設:道の駅小豆島ふるさと村、国民宿舎小豆島
撮影日:2013年8月6日
場 所:スポットノート『神社祠map/樹木map』に投稿します。
亀山八幡神社の秋祭りでは、 海から太鼓台を運び入れる「踊り込み」「押し込み」が見られます。
「踊り込み」=船の舳先で赤と緑の服を着た、さるぼぼみたいな人が踊っているから。
「押し込み」=海から馬場に押し入るから押し込みという。《昔、小豆島では陸道は里道しかなく、太鼓台(ちょうさ)は通れなかった。三都半島の各集落の太鼓台は船に乗せて宮入(奉納)していた。現在は「神ノ浦」だけが昔のままの姿で奉納している。》
「踊り込み」=船の舳先で赤と緑の服を着た、さるぼぼみたいな人が踊っているから。
「押し込み」=海から馬場に押し入るから押し込みという。《昔、小豆島では陸道は里道しかなく、太鼓台(ちょうさ)は通れなかった。三都半島の各集落の太鼓台は船に乗せて宮入(奉納)していた。現在は「神ノ浦」だけが昔のままの姿で奉納している。》
映画のロケ地
二十四の瞳の大石先生はここで結婚式をあげた。12人の子供達は、先生の花嫁姿を一目見ようと、競って神社に集まった。昭和六十二年作品の一コマ。
二十四の瞳の大石先生はここで結婚式をあげた。12人の子供達は、先生の花嫁姿を一目見ようと、競って神社に集まった。昭和六十二年作品の一コマ。
亀山八幡宮の文化財
亀山八幡宮棟札 小豆島町指定有形文化財(美術工芸品) 指定年月日:2012年4月24日
棟札には、南北朝時代の応安4年(1371)、別当権大僧都宥呼、願主平井兵左衛門尉、大工三木善太夫、惣太夫、市右衛門とあり、庄内安全諸人繁昌のため八幡宮一宇を造営したと記されている。別当は、八幡宮の神宮寺である延命院八幡寺の住職で、この神社を主管した人である。願主の平井兵左衛門尉は、後の池田村庄屋平井兵左衛門の祖先にあたる。ほかに慶長16年(1611)、寛文10年(1670)、文政13年(1830)、天保11年(1840)の4札についても、既に指定されている内海八幡神社棟札と同じく古いものである。 以上の文は、文化遺産オンラインより転載しました。
亀山八幡宮棟札 小豆島町指定有形文化財(美術工芸品) 指定年月日:2012年4月24日
棟札には、南北朝時代の応安4年(1371)、別当権大僧都宥呼、願主平井兵左衛門尉、大工三木善太夫、惣太夫、市右衛門とあり、庄内安全諸人繁昌のため八幡宮一宇を造営したと記されている。別当は、八幡宮の神宮寺である延命院八幡寺の住職で、この神社を主管した人である。願主の平井兵左衛門尉は、後の池田村庄屋平井兵左衛門の祖先にあたる。ほかに慶長16年(1611)、寛文10年(1670)、文政13年(1830)、天保11年(1840)の4札についても、既に指定されている内海八幡神社棟札と同じく古いものである。 以上の文は、文化遺産オンラインより転載しました。
池田の桟敷 重要有形民俗文化財(建造物)昭和五十一年八月二十三日指定
桟敷の規模は幅64m、6~8段の階段から出来ていて高さ15mもある。野外劇場を思わせる大桟敷です。安政二年以前の築構と推定されている。八幡宮の秋の例大祭には神輿、太鼓台の大練りを見物する為に築かれたもの。 後日記事にします。
桟敷の規模は幅64m、6~8段の階段から出来ていて高さ15mもある。野外劇場を思わせる大桟敷です。安政二年以前の築構と推定されている。八幡宮の秋の例大祭には神輿、太鼓台の大練りを見物する為に築かれたもの。 後日記事にします。
亀山八幡神社のシンパク 小豆島町指定文化財天然記念物 香川県保存木(平成八年指定)
このシンパクは、池田郷の人々にとって古くから、神木として信仰の対象になっており、胸高幹囲4.8m、樹高19mで、やや西方へ八十度の傾きで斜上した巨樹であり、推定樹齢は四百年以上である。
枝張りは、東西へ10m、南北へ6mと開張し、まとまった樹冠をなしている。ただし、約10mの高さあたりから上部は往年の落雷のためか枝張りが少なく、裸木風になっている。
全体としての樹勢はよく、島内では国の特別天然記念物の「宝生院のシンパク」は別としても、内海町に内海八幡宮、真光寺、また、菅家にみられるシンパク、および、土庄町黒岩の円満寺のシンパクと同格と見られる巨樹である。
池田町教育委員会(現小豆島町) 昭和五十八年四月 説明板より転載しました。
このシンパクは、池田郷の人々にとって古くから、神木として信仰の対象になっており、胸高幹囲4.8m、樹高19mで、やや西方へ八十度の傾きで斜上した巨樹であり、推定樹齢は四百年以上である。
枝張りは、東西へ10m、南北へ6mと開張し、まとまった樹冠をなしている。ただし、約10mの高さあたりから上部は往年の落雷のためか枝張りが少なく、裸木風になっている。
全体としての樹勢はよく、島内では国の特別天然記念物の「宝生院のシンパク」は別としても、内海町に内海八幡宮、真光寺、また、菅家にみられるシンパク、および、土庄町黒岩の円満寺のシンパクと同格と見られる巨樹である。
池田町教育委員会(現小豆島町) 昭和五十八年四月 説明板より転載しました。