四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 愛媛県宇和島市

寺 名:慈光山・明源寺
本 尊:
開 基:
創 建:
宗 派:浄土真宗本願寺派
札 所:
住 所:愛媛県宇和島市本町追手1-1-12
電 話:0895-22-2397
由 緒
 明源寺は、もともと天正年間(1573~1591)に佐賀関(大分県)に建立された安楽寺であった。その後寺号を明源寺に改め文禄元年(1592)宇和島笹町に移り、さらに慶長二年(1597)現在地に移ったものである。
文化財:宇和島市指定名勝 明源寺庭園=昭和36年11月3日指定
資 料:現地説明板など、
参照HP:宇和島市HP、https://www.city.uwajima.ehime.jp/site/sizen-bunka/143meigennji.html
 明源寺庭園は本堂回廊前(東側)にあり、前庭を海又は池と見立て背後の斜面を築山とした枯山水庭園で、移転後あまり年月の経過しない時期の作庭と思われる。
 前庭の中央に空間をとり、右手後方に荒い岩場風の石で囲んだ大小二つの中島を設け、庭の中縦二枚足のどっしりとした石灯篭ほどに富士山形の水分石を配して流れを表現している。左に離れて北向きに本堂回廊に沿いながら、飛石混じりの屈折した延段で進み、厚い石橋に至る。ここに置かれた石灯籠が異彩を放ち目をひく。さらに築山左側北麓の大きい石組を通り、中腹に登ると豪華な色石を使った三尊石がある。
 この小高い築山の平面は扇状で両端を緩い斜面とし、中ほどは等高線に沿った小段となっていて、頂部に遠山石を兼ねた献灯が置かれている。やや正面に下がると大きい守護石がある。山の右寄り斜面は緩い谷間となり大小の石を配して州浜に下っている。
 本庭園には多くの要素があると思えるが石組のバランスの美しさを追求し象徴化した手法など実によくしまって優れており、その閑寂・枯淡の趣は貴重なものである。
 
拝観料:無料
駐車場:無料
資料等:宇和島市HP、現地説明板、
撮影日:2019年3月1日
近隣施設:愛媛県

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名  称:堂埼灯台
番 号:5625
住  所:愛媛県宇和島市石応
マピオンマップ↓↓↓↓
https://www.mapion.co.jp/m2/33.2160667947905,132.51547781768576,19
マップコード↓↓↓↓
176 152 276*01(駐車可能場所)
塗  色:白色タイル貼り
塔  形:四角形
塔 高(地上~塔頂):7.8m
灯火標高(平均海面~灯火):28m
灯質・灯色:単閃白光 毎4秒に一閃光
光達距離:10海里
明 弧:
初点灯:昭和24年12月
改 築:平成3年3月
資料等:海上保安庁刊行「灯台表」など、
周辺施設:堂埼観音

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神社名:和霊神社
祭 神:山家清兵衛公頼公
創 建:承応2年(1653)
創 基:伊達秀宗
社 格:県社
住 所:愛媛県宇和島市和霊町1451
マピオンマップ↓↓↓↓↓
https://www.mapion.co.jp/m2/33.229738204391424,132.56528643908538,19
マップコード↓↓↓↓↓
176 218 124*23
電 話:0895-22-0197
沿 革
 Wikipedia
札所等:
関連記事:山家公頼の墓(和霊廟)  
文化財等:和霊神社の社叢 宇和島市天然記念物=昭和49年2月12日
駐車場:無料
撮影日:2019年7月10日
資料等:宇和島市HP、Wikipediaなど、
近隣施設:愛媛県宇和島市

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山家公頼の墓(和霊廟)
所在地:愛媛県宇和島市宇和津町一丁目
史跡指定:宇和島市指定史跡=昭和38年(1963)2月11日指定
解説等
 宇和島藩伊達秀宗が、宇和郡10万石に封じられ、宇和島(当時板島)に入ったのは元和元年(1615)のことであった。秀宗の父伊達政宗は、家臣の中より力量手腕の秀でた山家清兵衛公頼を総奉行として藩政を委託した。公頼は藩の財政の立て直し、民力の涵養に努めること五年間、大いにその治績を挙げたのであった。
 しかし、元和五年(1619)幕府の命による大坂城石垣修理工事問題等を契機として、公頼排祖の空気が高まり、元和六年(1620)六月30日の夜、秀宗の意をうけた武士たちが公頼の邸を襲い、公頼をはじめ、十九歳になる二男治部、十四歳の三男丹治は刃に倒れ、九歳になる四男の美濃は井戸に投げ込まれ、命を落としたと伝えられている。山家邸は今の丸之内和霊神社の地となる。
 公頼に日頃から好意を寄せていた人達によって、遺骸は密かに金剛山西の谷に葬られた。後に秀宗も冤罪であったことを認め、領内の庶民も公頼の高徳を慕い、香華の煙が絶えなかったという。現在、おたまや様(和霊廟)として、毎年七月二十九日の祭日には、多くの参拝人で賑わっている。
資料等:現地説明板など、
駐車場:無料(大隆寺駐車場)
マピオンマップ:↓↓↓↓
https://www.mapion.co.jp/m2/33.21470020952477,132.5753420406808,19
マップコード↓↓↓↓
176 159 310*38
撮影日:2019年7月10日
近隣施設:大隆寺、和霊神社、宇和津彦神社  

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神社名:宇和津彦神社
祭 神:宇和津彦神
創 建:
創 基:
社 格:国史現在社 旧県社
住 所:愛媛県宇和島市野川新13
マピオンマップ↓↓↓↓↓
https://www.mapion.co.jp/m2/33.215207352031754,132.57299242558406,19
マップコード↓↓↓↓↓
176 159 361*46
電 話:0895-22-1276
由 緒
 宇和島城下の総鎮守で、古くより当地方の一宮として崇められ、江戸時代以前は一宮大明神と称されていた。御祭神の宇和津彦命は景行天皇の皇子で宇和別の祖・国乳別命のこととされる。創建年代は不詳だが、仁和元年(885)従五位下を奉授されたことが『三代実録』に記されている。
札所等:
解 説:
 平成9年10月26日 本殿修理・拝殿改築・境内の整備完成
H P:
文化財等:『八ツ鹿踊り』 市指定無形民俗文化財=昭和49年2月12日 
駐車場:無料
撮影日:2019年7月10日
資料等:愛媛県神社庁、宇和島市HP、現地石碑など、
近隣施設:金剛山・大隆寺、 

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