四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 愛媛県西条市

名 称:王至森寺のサンシュユ
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樹木名:サンシュユ(山茱萸)
科・属:ミズキ科ミズキ属
指定区分:愛媛県西条市名木
選定日:平成3年3月
樹 齢:
樹 高:
根 廻:
胸高周囲:
枝張り:
附 則
 詳細不明
場 所:王至森寺境内

住 所:愛媛県西条市飯岡3021
資 料:現地説明板、Wikipediaなど、
撮影日:2024年3月1日
関連ブログ:王至森寺

名 称:王至森寺のキンモクセイ
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樹木名:金木犀
科・属:モクセイ科モクセイ属
指定区分:国指定天然記念物 昭和2年(1927)4月8日指定
樹 齢:推定千数百年
樹 高:約16.0メートル
根 廻:約4.0メートル
胸高周囲:
枝張り:
附 則
 昭和二十一年二月二十二日植物学者の権威東京帝国大学教授「本田正次郎」博士が視察のため来寺、日本一の大木と示された。
場 所:王至森寺塀外

住 所:愛媛県西条市飯岡3021
資 料:現地説明板、Wikipediaなど、
撮影日:2024年3月1日

神社名:法性大権現
祭 神:

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創 建:
創 基:
元社格:
住 所:〒793-0010 愛媛県西条市飯岡3021

電 話:
由緒等
 王至森寺の鎮守
 戻って来た木の民話が残っている
[王至森寺の境内の裏山に鎮守法性大権現の祠がある。その梁に二本の流木が安置されているが、それには次のようないい伝えが今も語り継がれている。ころは江戸時代、小松藩主が大阪に御蔵屋敷を、建築されることになった。あちらこちらと、良木を探しているうちに、領内の王至森寺の木をそれにあてようと言うことになった。
 この森は、昔から天狗が住んでいるとか、夜半参道に大きな牛が横たわっていたとか、そのほか霊験を信じる人が大勢いたが、ついに藩主の命令で森の木は切り倒され、海を越えて大阪へと運ばれていった。
 やがて、建築用材として使われ、御蔵屋敷は完成した。が、ふしぎなことに、御蔵屋敷では、毎夜、「王至森寺へ帰りたい、帰りたい」と、泣く声が不気味に聞こえるようになった。人々はあまりの恐ろしさに、その木を浜へ運び海へ投げ捨てたところ、一陣の風が吹き、みるみるうちに西方へ流れて去った。数日後、現在の戻川に流れついた流木に人々は驚き、これは権現様の怒りにふれたためだと知った。
 そこで村人たちはその木をもとの森にかえし、安置しおまつりを続けたという。
 そして、木の流れついたところを、“木が戻ってきた川”という意味で「戻川」と呼ぶようになった。]西条市ホームページよりコピペ
撮影日:2025年3月1日
駐車場:無料
資料等:香川県立図書館蔵:西條市誌などより

寺 名:法性山 多聞院 王至森寺
本 尊:大日如来

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創 始:
宗 派:真言宗御室派
住 所:愛媛県西条市飯岡3021

電 話:0897-55-2251
由 緒
 舒明帝が道後温泉へ行幸の途中、燧灘で暴風雨に遭われた。この時、森の中の寺で難を避けられた故事に因み王至森寺と称した。伝説に、森の木を大阪小松藩が御庫屋敷の建材に用いたところ、毎夜、帰りたいと泣くような音がするので川へ流した。月日を経て現在の戻川に流れ着いたことから地名に転じたという。鎮守法性大権現の別名は大威徳明王。牛に跨り、忿怒相を現す慈と威の像で篤い信仰があった。
 山門の扁額「法性出」は小松藩三代一柳頼徳の筆跡である。一柳頼徳は名君と称せられ、当時三百諸侯きっての能筆家であった。
 裏山に西国三十三番札所があったが、最近境内へ移して祀っている。
 高さ16m、根回り4m、樹齢不詳。日本最大の金木犀。国の天然記念物(昭和2年4月8日)指定がある。かおり百選。
札 所:新四国曼荼羅霊場の第三十一番札所
資 料:香川県立図書館蔵:西條市誌、新四国曼荼羅霊場、Wikipedia、現地説明板など
駐車場:無料
関連ブログ:

寺 名:九品山 浄土院 極楽寺
本 尊:阿弥陀如来
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創 始:
宗 派:石鎚山真言宗総本山
住 所:愛媛県西条市大保木4-36

電 話:087-897-0118
由 緒
 天河寺が廃寺した後にその尊像を移したものといわれる。石鎚の別院の名で知られ、口伝には役小角が石鎚山を開くとき、龍王山で霊験を感じて彫ったのがこの寺に祀られている石鉄蔵王大権現の像であり、鎮守とする八大龍王、波切不動明王も共にその時の作という。
 龍王山は寺の前にそびえる峻峯で、山頂には龍王の祠がある。ここは昔から極楽寺で雨乞い祈祷が行われる時の霊域である。龍王山から仰ぐと石鎚山が近くに見える。古来の信仰の発生した過程の当然であることがうなづかれる。
 第二次世界大戦の後、昭和二十年(1945)十二月二十八日宗教団体法が廃止されて、これに代わる宗教法人令が出来た。この法に基づいて極楽寺は住職「神野宥乗」が本山御室派から独立して一派を興した。石鎚山真言宗という。
 この寺には、銀納義民として、郷土人が追慕する「工藤治兵衛」らの位牌を祀る。境内には義民の記念碑があり、これは明治二十三年(1890)大保木の人「工藤弥五郎」が建てたものである。
札 所:新四国曼荼羅霊場(弥陀三尊)
文化財:
資 料:現地説明板など
関連ブログ:極楽寺別院

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