四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 愛媛県松山市

ダム名:石手川ダム
ダム湖名:白鷺湖
河川名:重信川水系石手川
住 所:愛媛県松山市宿野町乙
所在地:マピオンマップ↓↓↓↓

堰堤長:277.7m
堰堤高:87.0m
総貯水量:1280千立方m
目 的:洪水調節、不特定利水、上水道供給、
形 式:重力式コンクリート
ダム事業者:国土交通省四国地方整備局
本体施工者:
こだわり技術:
着工/竣工:1968/1972年
四国堰堤ダム88箇所:第58番堰堤札所
ダムカード:Ver.1.0(2007/07)
カード配布場所:石手川ダム管理事務所、
資 料:ダム便覧、現地説明碑、ダムカードなど
撮影日:2017年5月11日
近隣施設:石手寺、道後温泉、湯築城址、松山城

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展望デッキ
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管理棟
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【松山城】
 松山城は、道後平野の中心にある標高132mの勝山山頂に築かれました。城を築くため、加藤嘉明は家臣の「足立半右衛門重信=土木工事で多くの業績を残しています。」と「山本八兵衛」に普請を命じ、慶長七年(1602)一月十五日、築城に取り掛かります。資材は近隣産地から集めたが存在していた城からも材料を調達した。湯築城からは石垣、松前城(加藤嘉明が伊予に入封した城)からは石材と共に筒井門・乾門・乾櫓が運ばれた。

 城郭:連郭式平山城
 築城主:加藤嘉明
 築城年:慶長7年(1602)着手
 主な改修者:松平勝善
 主な城主:加藤氏、松平(久松)
 廃城:明治6年(1873)

 天守の全高は、本壇から20m(鯱鉾の高さを入れると21.3m)。本壇は本丸から8.3mの高さがあり、本丸の標高は約132mであることから、大天守の標高は約161mあることになります。これは「現存12天守」の平山城の中では最も高い城郭です。 
 江戸時代には、全国に170箇所はあったともいわれるお城ですが、江戸末期から明治にかけての戦乱や明治政府による廃城令、また天災や第二次世界大戦での戦災などにより、数多くの城郭が失われ、今や江戸時代以前に建造された天守が現代に残っているのは、全国で12城しかありません。
「弘前城」「松本城」「丸岡城」「犬山城」「彦根城」「姫路城」「松江城」「備中松山城」「丸亀城」「松山城」「宇和島城」「高知城」
 文は松山城HP&Wikipedia&アトラス出版刊「松山城の秘密」などより参照。
 写真は2011年12月14日撮影

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 天守より
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ワイワイマップの見方
yahooトップページ→地図→ワイワイマップ→「城址」検索→《城・城址のMAP》を スクロールで選定する。

 附則
松山城跡=史跡 昭和27年3月29日1952(1952)
天守=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
三ノ門南櫓=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
二ノ門南櫓=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
一ノ門南櫓=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
乾櫓=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
野原櫓=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
仕切門=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
三ノ門=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
二ノ門=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
一ノ門=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
紫竹門=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
隠門=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
隠門続櫓=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
戸無門=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
仕切門内塀=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
三ノ門東塀=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
筋鉄門東塀=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
二ノ門東塀=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
一ノ門東塀=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
紫竹門東塀=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)
紫竹門西塀=重要文化財(建造物) 昭和10年5月13日(1935)

【熊野山・石手寺】
 四国八十八ヶ所霊場第51番・熊野山(くまのざん)・石手寺(いしてじ)・虚空蔵院(こくぞういん)は愛媛県松山市石手2丁目にあるお寺です。宗派は真言宗豊山派で本尊は薬師如来(伝行基菩薩) 開基は行基菩薩

 神亀五年(728)聖武天皇の勅命を受けた伊予の大守「越智玉澄」が鎮護国家の道場として伽藍を建立し安養寺と名付けたのがはじまりであり。天平元年(729)行基菩薩が来錫して薬師如来を刻み本尊として開眼した寺で、もとは法相宗であった。
 弘仁四年(813)留錫した空海が修学ののち真言宗に改め、四国五十一番札所に定められた。
 寛平四年(892)ときの城主河野家に誕生した子息が、衛門三郎再生の証しとして、三郎が臨終のとき空海から授けられた一寸八分の小石を左手に握っていたことに因んで石手寺と改号した。
 七堂伽藍六十四坊の威容を誇っていたが天正の長宗我部軍の兵火に遭ってその大半を焼失。
 本堂=重要文化財(建造物)明治40年5月27日(1907)、仁王門=国宝明治40年5月27日(1907)、三重塔=重要文化財(建造物)明治40年5月27日(1907)、は文保二年。鐘楼=重要文化財明治40年5月27日(1907)は元弘三年、梵鐘=重要文化財(工芸品)大正1年9月3日(1912)は建長三年もので指定されている。
 089-977-0870
 文は四国八十八ヶ所詳細地図帖&現地説明板などより転載しました。
 伊予の国『菩提の道場』終了
 写真は、2011年11月21日撮影
 場所はワイワイマップにスポット投稿します。

 回廊
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 仁王門
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 本堂 
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 大師堂
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 三重の塔
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 鐘楼
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 鐘楼堂
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 茶堂・納経所
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 東山門
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 山頂の弘法大師像
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 大仙窟
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 正岡子規句碑「身の上や御䦰(みくじ)を引けば秋風」
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ワイワイマップの見方
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【須賀山・円明寺】
 四国八十八ヶ所霊場第53番・須賀山(すがざん)・円明寺(えんみょうじ)・正智院(しょうちいん)は愛媛県松山市和気町にあるお寺です。宗派は真言宗智山派で本尊は阿弥陀如来立像(伝行基菩薩) 開基は行基菩薩

 聖武天皇の勅願寺である。
 天平年間()勅を奉じて来錫した行基菩薩が勝岡の地に三尺の阿弥陀如来立像を刻み、本尊とし安置する伽藍を和気の海岸に創建し、海岸山・円明密寺と名付けたのが始まりである。
 その後の度重なる兵火のため広大であった堂宇は焼失、寺域は荒れるにまかせた状態が長年月に及んだ。
 再建したのは寛永年間(1624~1643)になってであり、和気の豪族「蜂須賀専斎重久」が現在地に本尊を移転。伽藍を再興した。
 京の覚深法親王の令旨により仁和寺の末寺となり、現在の正智院・円明寺となった。
 本堂内に4m超の龍の彫りものがあるようで左甚五郎の作と伝えられている。
 
 089-978-1129
 文は四国八十八ヶ所詳細地図帖&現地説明板などより転載しました。
 写真は、2011年12月14日撮影
 場所はワイワイマップにスポット投稿します。

 仁王門(八脚門)
 仁王門は、三間一戸(柱の間が三ヶ所で入口が一ヶ所の意)、一重、入母屋造、一軒疎垂木(まばらだるき)、本瓦葺き、表正面の柱間は4.9m、側面3.0mで創建。当時のものとは若干の変容が推定される。柱は、円柱で柱頭(ちゅうとう)にのみ粽を付け、頭貫(かしらぬき)、台輪(だいわ)を通してその上には間斗束(けんとづか)を置く。木鼻(きばな)の彫刻文様や組物の造りに室町時代の様式を残している。昭和31年(1956)11月3日愛媛県指定有形文化財(建造物)指定
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 中の門
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 本堂 
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 大師堂
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 鐘楼
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 手洗盥
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 大師像
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 キリシタン燈籠
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 観音堂
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 門外の道標(右へんろ道・左宮嶋道)
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【瀧雲山・太山寺】
 四国八十八ヶ所霊場第52番・瀧雲山(りゅううんざん)・太山寺(たいさんじ)・護持院(ごじいん)は愛媛県松山市太山寺町にあるお寺です。宗派は真言宗智山派で本尊は十一面観世音菩薩(伝行基菩薩) 開基は真野長者

 用明天皇の御代、九州豊後(現在の大分県)の国の「真野長者」が高浜沖で暴風雨に遭い、観音経を唱え祈ると、龍雲山の方向から差した御光のお陰で助かった。不思議に思って山に登った長者は、小さな草堂の中に十一面観音菩薩の尊影を拝した。長者は助けられたお礼にと、本国で木組みした材料をここに運び、一夜のうちに建立したと伝えられる。
 聖武天皇の勅願によって来錫した「行基菩薩」が十一面観世音菩薩を刻み本尊として安置。天皇自身も経を納め山号・寺号を下賜されている。後に来錫した空海は、胡摩ヶ森で護摩供を修せられしのと札所に定められる。
 寺には六人の朝廷の勅願によって高さ1.5mの十一面観世音菩薩を六体安置してあり、何れも重要文化財に指定されている。長者の建てた堂は十間四面貫、釘打ちの無い工法であり特別保護建造物の指定を受けている。

 089-998-0329
 文は四国八十八ヶ所詳細地図帖より転載しました。
 写真は、2011年12月14日撮影
 場所はワイワイマップにスポット投稿します。

 一の門
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仁王門
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 参道
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 三の門
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 本堂
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 大師堂
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 鐘楼堂
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 手洗盥(階段下)
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 大師像
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 ※長者堂
 長者堂は、孤児で炭焼をしていたが、三輪明神のお告げで「久我大臣」の娘「玉津姫」と結婚し、金鉱を発見して長者となった真野の「小五郎」と娘「般若姫」を祀っている。この姫は、用明天皇が、其の婿になろうと草刈童にまでなって近づいたと云う話がある程の美人だったらしい。
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参道の一畑薬師堂
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 正岡子規俳句碑『蒟蒻(こんにゃく)につゝじの名あれ太山寺』昭和二十五年頃まであった太山寺の名物こんにゃく田楽のことで、茶店で売っていたらしい。
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