四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 徳島県美馬市

寺 名:光暁山・智明院・林照寺
本 尊:阿弥陀如来
開 基:林証
創 建:室町時代(江戸時代との説も有る)
住 所:徳島県美馬市美馬町字宮西17
マピオンマップ↓↓↓↓
https://www.mapion.co.jp/m2/34.05237496582354,134.06093178313452,19
マップコード↓↓↓↓
228 172 799*25
電 話:0883-63-2155
由 緒
 安楽寺の隠居寺として創建された。
文化財:
資 料:美馬市HP観光案内ページなど、
参照HP:http://www.city.mima.lg.jp/kankou/kankouannai/miru/0012.html
駐車場:無料
関連記事:
撮影日:2019年5月29日
近隣施設:安楽寺

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寺 名:千葉山・妙音院・安楽寺
本 尊:
開 基:千葉彦太郎
創 建:1259年(正元元年)正元=1259年4月20日(正元元年3月26日)~1260年5月24日(正元2年4月13日)
宗 派:浄土真宗本願寺派
札 所:
住 所:徳島県美馬市美馬町字宮西11
マピオンマップ↓↓↓↓
https://www.mapion.co.jp/m2/34.05246830153489,134.06173108142085,19
マップコード↓↓↓↓
228 172 831*77
電 話:0883-63-5536
由 緒
 下記HP参照
 正元元年(1258)頃に下総の住人千葉彦太郎が入寺 し、以後浄土真宗に改め仏光寺派に属したと伝えられ ています。永正十二年(1515)の火災で郡里を離れ て麻植郡瀬詰村(現吉野川市山川町)に移り、さらに讃岐 三豊郡財田(現香川県三豊市)に転じて宝光寺を建てまし た。永正十七年(1520)、三好千熊丸(元長または 長慶)の召還状によって郡里に帰住しました。門徒衆の触頭として大きな力を待ったといわれています。阿波では吉野川流域を中心に拡大していきます。安楽寺は、江戸時代には阿波21、讃岐50、伊予5、土佐8の合計 84ケ寺の末寺を有し、四国の真宗寺院では最大の勢力 を誇りました。
文化財: 山門、本堂、書院、鐘楼=登録有形文化財 平成21年(2009)8月7日登録
資 料:現地説明板、Wikipedia、下記HPなど、
参照HP:http://www.city.mima.lg.jp/kankou/bunka/kunishitei/0013.html
駐車場:無料
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撮影日:2019年5月29日
近隣施設:

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貪狼星(とんろうせい)宮殿
住 所:徳島県美馬市穴吹町三島三谷
マピオンマップ↓↓↓↓
解説等
 この付近には、いろいろな動物が棲んでおり、その中に狼もいたと思われる。今では、家畜や人を襲うなど危害を加える悪獣のような扱いを受けているが、地域の伝承では超能力を持つ益獣と考えられていた。近世における農耕の進展により、彼らの生活圏である森を狭め、同時に食糧である野生動物をも減少させたもののようである。
 そこで、「文化遺産を大切にするということ」、「人と動物そして自然が、調和を保ち互いに傷つあうことなく平和に暮らせるように」との願いを込めて第7号楽喜(ラッキー)宮殿として「貪狼星宮殿」を建設します。
【穴吹町商工会青年部】説明板より抜粋しました。
建設日:平成13年(2001)7月7日
資料等:美馬市HP、現地説明板など
撮影日:2017年1月18日

ラッキー宮殿
 旧穴吹町の郵便番号777にちなんで北斗七星の位置に型どり、穴吹地区の名所、旧跡の七カ所に七年計画でミニ宮殿を建設したものです。(1.破軍星宮殿(ふれあい公園)2.巨門星宮殿(百々の滝・三谷)3.廉貞星宮殿(恋人峠)4.武曲星宮殿(丸山)5.文曲星宮殿(中野宮)6.禄存星宮殿(渕名)7.貪狼星宮殿(三島) )
 7ヶ所を巡ることにより運が開け、またふるさとの良さを再認識してもらい、ラッキー7「あなぶき」を全国にPRすることを目的にしています。

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古墳名:拝中古墳(はいなかこふん)
住 所:美馬市脇町字拝原1081番地
場 所:マピオンマップ↓↓↓↓

形 式:円墳 両袖式横穴式
規 模:直径15m、高さ5m(推定)
石 室:現全長7.1m、玄室長3.6m 最大幅2.4m、高さ3m
羨 道:現羨道部長3m
築造期:6世紀後半から6世紀末
史跡指定:美馬市指定 昭和49年12月17日 
解 説:曽江谷川の堆積作用による扇状地上標高45mに位置する。
 奥壁は結晶片岩の1枚石で、側壁は基底部の1~2段は結晶片岩を使い、その上は砂岩を積み重ねており隙間を結晶片岩の割り石を使っている。
  側壁を内側に向かって持ち送る段の塚穴型石室であり、天井部は7枚の結晶片岩が使われている。南に開口している。
資料等:美馬市観光頁など、
撮影日:2017年1月18日

国道側から見た風景
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羨道の天井石は無い
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古墳名:拝東古墳(はいひがしこふん)
住 所:徳島県美馬市脇町字拝原2470番地
場 所:マピオンマップ↓↓↓↓

形 式:円墳 両袖式横穴式石室
規 模:直径15m、高さ5m(推定)
石 室:現全長5.5m、玄室長4.5m、最大幅2.5m、最大高2.7m
羨 道:現長1m
築造期:6世後半から6世紀末
史跡指定:昭和49年12月17日 美馬市指定
解 説:墳丘の北側は民家・西側は果樹園・東側は水路・南側は畑でもって削り取られており本来の姿は殆ど見られない。
 奥壁と側壁の玄門石の高さまでは砂岩を使っており側壁の持ち送る部分は結晶片岩の割り石を使っている。
  奥壁と側壁から持ち送る段の塚穴型石室であり、天井部は7枚の結晶片岩が使われている。
資料等:美馬市文化財HP、
撮影日:2017年1月18日

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