四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 香川県東かがわ市

旧引田郵便局
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設 計:松未組
建 築:松未組
住 所:香川県東かがわ市引田字畑方2253

電 話:
所有者:
建築年:昭和七年(1932)
様 式:木造平屋建、瓦葺、建築面積80㎡ 1棟
文化財:登録有形文化財(建築物)2010年1月15日
解説等
 桁行12m梁間6.5m、寄棟造の木造平屋建。外壁はタイル貼及びモルタル塗洗出しで、頂部に「〒」マークをあしらう半円形ペディメントを付け、正面及び側面の三方に八角形の窓を左右対称に配す瀟洒な造り。
 明治四年(1871)に郵便制度が実施され、全国に郵便局が創設されたとき、地方の三等郵便局は戸長宅(当時の役場事務を執ったところ)に置くとの規定から吉川清八郎宅に局が設けられた。明治の中頃に山本徳太郎氏へ譲渡し、さらに大正七年に日下武近氏が譲る受け当初は寺町角で営業していた。昭和七年(1932)に日下家の元の屋敷跡であった。現在地に新築移転し、昭和五十三年(1978)まで開局していたか、特定郵便局から普通郵便局への移行に伴い他の場所に移った。
 建物は、木筋コンクリート造り平屋建の洋風建築で正面入り口に局長室、右側に電話ボックス及び、私書箱、奥に電話交換室、裏に局員宿舎を設けている。上部に八角型の窓、下部には、上げ下げ式の窓、高天井、入念な装飾に昭和初期のの様式美が見られる。
 設計及び施工は、東京の松未組によるものであり正面、引田郵便局の字は当地の書家田中白村先生の書である。
 建物北側には、江戸時代の日下家屋敷を示す土塀(石積)が残されたいる。
 
 現在は、カフェとして営業している。

場 所:旧引田町中心街
資料等:現地説明版、文化遺産オンラインなど、
駐車場:無し
撮影日:2025年8月23日

名 称:白鳥神社のクスノキ
樹木名:楠
指 定:香川の保存木 №2
樹 齢:約800年
樹 高:26.5m
胸高径:6.75m
枝張り:東西33.0m 南北28.5m
解 説:クスノキは、主幹近くの太い根が地上高く露出しており、その様は珍しい。また、根元は、高さ約1mの石柱12本で囲まれ、その外側に木の杭とロープで囲われ踏圧から保護されている。また、垂れ下がった枝は地上の高さにまで及び、全体にどっしりとした印象を与える。
 樹齢は約800年と推定されるが、樹勢は現在も旺盛である。【データーは2014年現在】
住 所:香川県東かがわ市松原
マピオンマップ↓↓↓↓
資 料:香川の環境HPなどより
撮影日:2018年7月1日

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【千足ダム】
 ダム名:千足(せんぞく)ダム
 ダム湖名:
 川名:馬宿川水系千足川
 住所:香川県東かがわ市川股
 堰堤長:197m
 堰堤高:41,4m
 湛水面積:14ha
 目的:FNW(洪水・利水・水道)
 形式:重力式コンクリート
 ダム事業者:香川県
 発電:なし
 着手/竣工:昭和50年(1975)/昭和62年(1987)
 四国堰堤ダム88箇所第88番堰堤札所

 エピソード:ダム周辺には、遊歩道やバーベキューハウス「憩いの家」が整備され、サクラの花見やレクリエーションシーズンには、多くの家族連れが訪れにぎわっています。(昭和63年(1988)にサクラ(ソメイヨシノ)の植樹が行われました。毎年3月末から4月初旬が見頃です。それぞれ植樹した人の名札がつけられており、愛着をもって手入れにくる方もいます。)
 香川のみどり百選「千足ダム」讃岐山脈の水源の森4
 周辺施設:引田歴史町並「風の港」・安戸池
 資料:現地説明板&ダム便覧&Wikipedia&電力会社HPなどから参照しました。
 撮影日:2012年8月14日
 記事の変更 2014年5月13日 ダムカードVol.1.0(2014.04)


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【大内ダム】
 ダム名:大内(おおち)ダム
 ダム湖名:
 川名:与田川水系様松川(ためしまつがわ)
 住所:香川県東かがわ市水主
 堰堤長:121,2m
 堰堤高:26m
 湛水面積:13ha
 目的:FNW(洪水・利水・水道)
 形式:重力式コンクリート
 ダム事業者:香川県
 発電:なし

 着工/竣工:昭和38年(1963)/昭和41年(1966)
 四国堰堤ダム88箇所第87番堰堤札所

 エピソード:
 周辺施設:黒川温泉・水主神社・大内ダム公園
 資料:ダム便覧&Wikipedia&香川県のダムなどから参照しました。
 撮影日:2012年8月14日
 記事の変更 2014年5月13日 ダムカードVol.1.0(2014.04)

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 大内ダム公園からダム方面
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 管理棟
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【大渓山 釈王寺】
 大渓山 釈王寺(しゃくおうじ)は香川県東かがわ市大谷に残る古刹です。 宗派は真言宗善通寺派 本尊は木造聖観音立像(秘仏、国の重要文化財=彫刻)明治34年3月27日(1901)指定
 寺伝によれば奈良時代の神亀二年(725)に行基が建立し、その後、平安時代初期の延暦二十二年(803)に空海が寺院を整備したと伝わる。
 戦国時代の天正十一年(1583)には兵火により伽藍が焼失、江戸時代中期の享保十八年(1733)になって堂宇が再興された。
 国の重要文化財の本尊・聖観音像は現在、本堂後部にある蔵庫に収蔵され、本堂には前立として大日如来が安置されている。
 文はWikipediaなどから転載しました。

 ===釈王寺の民話===

 <><>釈王寺の閻魔堂
 丹生(現東かがわ市丹生)の大谷北岡に、真言宗大渓山延命寺「釈王寺(しゃくおうじ)」という名刹があります。このお寺の境内の本堂東側に、エンマ大王やその隋官を祀るエンマ堂が建っています。
 このエンマ堂は、約100年前(昭和37年4月当時)ぐらいの江戸時代に建てられたものですが、エンマ堂にまつわる話が残っています。
 当時、良源という住職がおりました。境内にエンマ堂を建てようと、お金を家々から集めました。ところが、檀家の一人である「平造」という人から、良源さんが苦労して集めたエンマ堂の建設資金を暫くの間貸してくれと頼みこまれました。住職は平造を信用して証文もとらずに快く貸してやりました。しかし平造は、何時まで待ってもお金を返そうとしませんので、良源さんは困ってしまいました。
 ある夜の事でした。平造の枕元にエンマ大王が現れ、「これ平造、人間の世界の大罪は嘘をいう事である。嘘は全ての犯罪の源でだ。特に仏様を守り、人の道を説く僧のお堂建築資金を騙し取る罪は非常に重い、死ねば地獄の底に落ちるやつだが、生きている間二度と嘘のいえむよう、舌を抜いてやる」「ま、待って下さい。騙し取ろうなどとたいそれた考えは、け、けっしてなかったんです。直ぐにも返すつもりが、予算が狂ってしまって、ついそのままになっています。なんとか工面をして直ぐにお返ししますから、舌を抜くのはお許しください」「ほんとうにお金を返せるか」「エンマ様まで、騙しはしません」翌日、あたふたと釈王寺を訪た平造が、借りたお金をそっくり返したことはいうまでもありませんが、住職に深く謝罪した平造は、別にいくらかのお金をエンマ堂の建築資金として寄付したということです。

 <><>釈王寺の天狗
 二百八十年前(昭和41年6月当時)の江戸時代に、丹生(現東かがわ市丹生)の大谷に善吉という大工がいました。若い時、三本松で修行しましたが、何を思い立ったのか、大谷の釈王寺の奥の院に、お籠りして祈願しますと、満願の夜、赤い天狗が現れて、善吉に体力と智力をお与えになりました。
 善吉は間もなく、遥々と江戸へ上り五、六年成らずして、江戸でも指折り数える棟梁となりました。
 憎んだのは他の棟梁達です。「田舎上がりの、たたき大工、そんなもんに劣っては、江戸の名おれでえ」と、力みかえれましたが、さて、腕の方はやっぱり善吉に敵わなかったようです。
 ある年、善吉が神社の改築を請け負って、いよいよ明日、大黒柱が建つという前夜、何者のためにか、大黒柱を三寸(約9cm)ばかり切り取られていました。慌てふためいている手下(弟子)の顔を見て、善吉は「何、大黒柱は三寸切り取られて短くなったというのか、棟上げをしょうという今となって、慌てても仕方がない。神仏の助力による他ない」と早速、古代から伝わる儀式による祈願が善吉が祭主として行われました。一同は不思議な目で、どんなことになるかと、固唾をのんで見張りました。
 間もなく善吉の指示によって大釜に沸かした熱湯を、二十間(約36m)もあろうという大黒柱に掛けられ、善吉は呪文を唱えて柱を数回廻って、改めて柱の寸法を計らせたところ、柱は三寸切られたはずなのに、寸法はちゃんと元のようになっていました。手下は勿論、此の話を聞いた江戸の棟梁たちは、いずれもベランメエの舌を巻いて驚いたのみならず、それ以来善吉に、たてつくものなかったそうです。
 この話の本当は、善吉は、このような事があったらと予感があったのか、予め四五寸(約15cm)余分に大黒柱を切ってあったということです。
 善吉の腕もさることながら、智力も優れていたのです。その後、名を成し遂げて故郷の大谷に帰国して百姓となって、ゆうゆう余生を送りました。尚、旦那寺であり、祈願した釈王寺へ、善吉が境内にエンマ堂を造りました。この堂が今に釈王寺に保存されています。
 以上の文は、香川県立図書館蔵『おおち夜話』歴史と民話より転載しました。
 写真は2012年5月23日撮影
 場所はワイワイマップ『伝説・民話・昔話などの残る場所map』にスポット投稿します。

 仁王門
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 本堂
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 不動堂
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 エンマ堂
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 鐘楼
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 境内
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