四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 香川県丸亀市

【宇閇神社古墳と宇閇神社】
 宇閇神社古墳と宇閇神社は香川県丸亀市綾歌町岡田下に鎮座しています。古墳は本殿の東側にあります。
 ★宇閇(うのい)神社古墳
 宇閇神社古墳は古墳時代後期に築造された古墳で、権力者の家族墓として使用されたものと考えられています。
 古墳は、土を盛って築かれた直径16~17mの円墳です。
中心部に横穴式石室があり、羨道を東側に備えています。石室は1~2m大の石を用いて築かれており、玄室の大きさは、奥行き4.9m、床幅1.85m、天井幅0.95m、高さ2.0mで綾歌町(現丸亀市)の古墳としては最大規模です。石室内部は盗掘を受けているため、棺・副葬品共に確認されておらず詳しい事は不明です。
 この古墳は、南の猫山から北に延びる丘陵の先端近くにあります。古墳の東や北には小さい平野が開けていることから、その地区を治めていた有力者が葬られたのではないかと考えられます。丸亀市教育委員会
 文は現地説明板より転載しました。

 ★宇閇(うのい)神社
 祭神は鵜羽葺不合命。由緒は日本武尊の子武殻王の六代目にあたる酒部益甲黒丸の創祀と伝えられ延喜神名式に列している。神域に泉がなく栗の大樹があった。
 ある朝鵜のむれが栗の下をほると清水がわき出た。夜は星影が水に映って王の井と言われた。
鵜足郡・栗隈・隈玉の名もあり。その後幾星霜鎮守の神として祭られた。
 平成二年綾歌町が西谷・定連線改良のため神社用地一五九〇平方米を町に売却した。
 神社の拝殿幣殿の老朽化、参道の整備、御旅所の拡張等により神社建築及び神苑の整備をすることになり、境内売却代金の収入と氏子各位のご賛同をいただき、その工事費は約四千万円で関係者各位の熱意により完成した。
 上記文は宇閇神社建築神苑整備記念碑より転載しました。
 写真は2011年2月3日撮影
 場所はワイワイマップにスポット投稿します。

 石鳥居
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 拝殿
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 本殿
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 境内社
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 境内
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 宇閇(うのい)神社古墳
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ワイワイマップの見方
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【うちわの港ミュージアム】
 うちわの港ミュージアムは香川県丸亀市港町にあります。
 ★国の伝統的工芸品「丸亀うちわ」
 丸亀うちわは江戸時代初期に金毘羅参りのお土産物として始まり、藩が武士の内職に奨励したこともあり、丸亀の代表的な地場産業に発展、平成9年5月に国の伝統的工芸品に指定されました。丸亀市は現在、年間約8千5百万本、全国シェアの90%を誇る日本一のうちわどころとなっています。
丸亀うちわは、丸亀うちわの歴史を伝えるさまざまな「うちわ」、全国の主な「うちわ」、うちわ作りの模型人形、貴重な文献、江戸時代のうちわを展示、実演コーナーでは伝統の技と行程も披露する、うちわの総合博物館です。
 開館時間 9:30~17:00
 休館日  毎週月曜日(祝日の場合は翌日)年末年始
 入館料  無料
 駐車場  50台(大型バス可)無料
 ★丸亀うちわ由来
 丸亀の旅僧が九州で一宿のお礼に団扇の製法を伝授したのが、熊本来民(くたみ)団扇の始まりといわれています。これが慶長5年(1600)といわれていますから、丸亀うちわの技術は、江戸時代初期までに確立していたものと考えられています。
 寛永10年(1633)、金毘羅大権現の別当、金光院住職「宥睨(ゆうげん)」が、全国から参拝に来る金毘羅参りの人々のために、お土産物として男竹丸柄の○金印の渋団扇を考案。
 天明年間(1781~1788)には、参勤交代で江戸に出向いた丸亀京極藩士が豊前中津藩から女竹丸柄団扇の技術を習い、藩も藩士の内職として奨励。江戸から帰国後も藩士は、団扇作りに励み、次第に町民へと広がり代表的な地場産業へと成長し、日本一の団扇産地の基盤を築くことになりました。
 文はうちわの港ミュージアムパンフレットより転載しました。
 写真は2011年2月2日撮影
 場所はワイワイマップにスポット投稿します。

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 うちわの骨の回廊 西堀隆史(瀬戸内国際芸術祭2010参加=男木島の作家)
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 江戸時代のうちわ
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ワイワイマップの見方
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【栗熊・住吉神社】
 栗熊・住吉神社は香川県丸亀市綾歌町栗熊東の国32号沿いに鎮座している。別名「池の宮」とも呼ばれている水の神様。境内東側には護摩堂があります。
 江戸時代住吉神社の南側に宮池があります。宮池の斜向かいに明治の初めごろまで茶堂があったようで、松の大木と金毘羅燈籠もありました。現在は住吉神社の境内に移設しています。燈籠の竿には、「安政3年 金毘羅大権現 住吉大明神」などの銘があります。
 文は丸亀市・讃岐の街道金毘羅参詣道より抜粋しました。
 写真は2010年11月16日撮影
 場所はワイワイマップにスポット投稿します。

 国道からの鳥居
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 隋神門
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 拝殿
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 本殿
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 護摩堂
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 忠魂堂
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 境内
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 金毘羅灯籠
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【栗隈城跡(湯舟城跡)】
 栗隈城跡(湯舟城跡) 丸亀市指定史跡(平成16年9月27日指定)
 栗隈城は、中世期に築かれた城郭で、ここから3㎞ほど西南西に位置する城山の頂上付近に築かれている西長尾城に居城していた城主「長尾大隅守元高」の一族が配置した山城です。初代城主は、長尾大隅守の四男「田村上野介親光」です。その後六男「上野介」が継いだと云われています。
 元高は、三野郡詫間郷筥御崎を領して「海崎(みさき)伊豆守」と名乗っていましたが、白峰合戦で「細川頼之」に従って働いた事を認められ、栗隈、岡田、長尾、炭所の4村を新領地として受けて西長尾城に移りました。元高は、大隅守を任じられた事によって「長尾大隅守」を称するようになりました。以後、代々の長尾氏によってこの地域が治められてきました。
 長尾一族は、それぞれの村に支城を配置しました。その一つが栗隈城です。
 栗隈城は、大高見峰から北に延びる尾根を下った標高200m付近で傾斜が緩やかで台状になった尾根上に位置しています。この付近は、湯舟山とも称されている事から「湯舟城」とも呼ばれています。
 主郭部は楕円形で周囲より一段高くなっており、その両側の尾根はそれぞれ三重の空堀によって分断されています。
更にその下手は連郭式曲輪群が連なっています。主郭部から西に延びる小さい尾根にもわずかに曲輪が配置されています。
また、その北部に手指状に延びる尾根には、城主の居館跡であると伝えられる「田村城」跡など関連する遺構が認められ、それらを栗隈城が束ねていたものと考えられます。
 栗隈城は、天正10年(1582)の長宗我部元親の中讃攻略に伴い、長尾氏が西長尾城主の地位を「国吉甚左衛門」に譲ったことによって廃城となったようです。
 アクセス:竹藪の中を緩い坂を上がったり下がったりしながら登って行くと竹藪が切れて杉の林に入れます。杉の林からは、急な坂道になります。大きな土塁にあたると左に行きます。ここからは一人が登るのにイッパイの細い道になります。回り込むように登って行くと尾根につきます。往復約40分です。城郭と思われる所は殆どが竹が覆っています。(登るには竹・木に栗隈城↑→が付いていて迷わなく登れました。)
 文は現地説明板より転載しました。
 写真は2010年11月16日撮影
 場所はワイワイマップにスポット投稿します。

 湯舟山
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 此処から登ります。
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 土塁?
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 栗熊城跡
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【吉岡神社と吉岡神社前方後円墳】
 吉岡神社は香川県丸亀市飯野町に鎮座している。本殿の後ろには前方後円墳が有り古墳時代の前期のものらしい。神社参道階段など殆どが改築している。

 吉岡神社前方後円墳 丸亀市指定史跡(昭和53年11月28日指定)
 青ノ山山頂から西南に延びる尾根部を利用して造られた全長51m(前方部は長さ27m、高さ1m、後円部は直径約24m、高さ4m)の前方後円墳である。前方部がバチ形に開く特徴と、古式布留式土器が出土しているところから、市内で最も古い古墳時代前期(4世紀前半)の築造と推定されている。
 江戸時代に盗掘を受けており鉄刀子片、銅鏃5、筒型銅器1、が確認されていたが、平成3~4年の発掘調査の結果、竪穴式石室(長さ約5.5m、高さ約1m、床面積0.7㎡)から新たに布留式土器2、勾玉1、管玉1、銅鏃16、鉄鏃4、が出土し、水銀朱を塗布された被葬者の頭蓋骨片も江戸期の壺に入った状態で発見された。
 また、安山岩で築かれた石室の下部には木棺を固定したとみられる段状張出し(幅約10cm、高さ30cm)が石室のそこを取り囲んでおり、張出しに囲まれた内側に川原石、板石、粘土を順番に敷いていて床面を造っている事が判明した。その他、赤・黒・黄色の三層の粘土被覆が石室の天井石を覆う珍しい構造であることも明らかとなった。 現在は、石室の周りに玉垣を築いて埋め戻されています。近々再発掘調査が行われるようです。
 記事は、現地説明板より転載しました。
 写真は、2010年7月2日撮影
 地図は、ワイワイマップにスポット投稿します。

 参道口の灯籠
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 参道鳥居
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 隋神門
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 拝殿
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 本殿
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 古墳への階段
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 玉垣の中に石室が埋め戻されている。
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