四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 愛媛県西予市

名  称:大崎鼻灯台
番 号:5633
大崎鼻三叟碆照射灯 5634 灯台併設
灯色:不動白光
住  所:愛媛県西予市明浜町田之浜
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塗  色:白色タイル貼り
塔  形:四角形
塔 高(地上~塔頂):107m
灯火標高(平均海面~灯火):8.6m 
灯質・灯色:単閃白光 毎5秒に1閃光
光達距離:12海里
明 弧:
初点灯:昭和25年4月
改 築:昭和63年1月
資料等:海上保安庁刊行「灯台表」など、
撮影日:2018年9月18日
周辺施設:須崎観音若宮神社

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三叟碆
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宇和海
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大崎鼻公園展望台
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 塔 和子 文学碑
  ≪ふるさと≫
私はふる里を思うとき いつも夢心地になる そこにはふ祖父がいた祖母もいた 母や父や兄弟
当然のように近所のおじいさんも いろりを囲んでいた 山犬やいのししに出会った話
どこそこの娘はいい ああいう娘を嫁さんにした男は幸せものだ などととりとめのない話を
あきることもなく夜おそくまでしていた 
あれから五十年 私の知っているものは何も残ってはいないだろう
けれどもふるさとを思うとき 子守唄をきいているようなやさしいこころになる
それから今日も 夢のふるさとに こころをゆるめて ながくのびている
【平成20年4月吉日 西予市 塔和子詩碑建立実行委員会】
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大崎狼煙場跡 愛媛県西予市指定史跡 (復元)
 この位置は田之浜乙567の5番で標高は98.7m。
 江戸時代に領主が参勤交代下向で海路を通る折、宇和海に面した五箇所の狼煙場で通過を知らせるノロシ(信号)をあげたが、大崎がその一箇所である。ノロシの順序は、ご座船が塩成を離れると、まず三机山頂で、次に穴井の大島、三番目が大崎、つぎは大良鼻、最後が九島狼煙場。大崎でノロシがあがると高山から早船が出て到着予定時刻を城下まで知らせた。【西予市教育委員会】
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寺 名:須崎観音
本 尊:聖観世音菩薩
開 基:
創 建:昭和五十一年九月二十日
宗 派:
札 所:
住 所:愛媛県西予市三瓶町周木
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電 話:
由 緒
 須崎観世音菩薩造顕の由来
 古来三瓶町は漁業と海運業を主な産業として繁盛してきたが、これを支える海上生活者は極めて旺盛な進取の気質に富み三瓶町の誇りであった。しかしこの陰には海上で遭難し船体と運命を共にされた尊い犠牲者がおられることを忘れてはならない。
 そこで我々はこのことを深く心にとどめて故人の霊位を弔い、冥福を祈願するとともに、先人の教訓を生かして漁業と海運業の一層の発展と、そして再び悲惨な出来事を繰り返さないことを誓い、あわせて我々衆生の苦しみを大慈大悲で救済されることを願って、ここに聖観世音菩薩の御尊像を造顕することを発願した。
 御尊像造顕に際しては、町内外の篤志家多数の御協賛を得て、昭和五十一年九月二十日、臨済宗妙心寺派管長霧隱軒梶原逸外猊下を迎え、開眼法要をすることができたのである。
 開眼香語には、薩陀三十三應身、海上安全轉法輪、膽尾仰圓通観自在、古今長照須崎濱とある。
 宇和海自然公園に面した眺望のすばらしいこの須崎の地は、天和四年(1681)に須崎権現が祀られ、本尊阿弥陀如来、脇待観音、勢至菩薩の三尊が安置されていた由緒正しい霊場である。この地名にちなみ、御尊像を須崎観世音菩薩と称することになった。
 御尊像造顕のためには多くの方々のご尽力をいただき、つつがなく落慶することができたことに対して深く敬意と感謝の意を表し、ここに発願の経緯と造顕の由来を記して後世に伝える。
 昭和五十七壬戌年五月吉日(1982)
 右須崎観音奉賛会 会長 濱田五郎
解 説:青銅造 身丈3.3m 総高4.6m
文化財:
資 料:現地石碑、
参照HP:
駐車場:無料 便所あり
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撮影日:2018年9月18日
近隣施設:

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須崎神社
須崎神社棟札 愛媛県西予市有形文化財 昭和48年5月1日指定
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宇和海
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神社名:若宮神社(大松若宮八幡社)
主祭神:宇都宮修理太夫正綱
創 建:
創 基:
社 格:
住 所:愛媛県西予市明浜町高山
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電 話:
歴 史
 棟札によると、天保十三年(1842)に再建された時の棟札が現存し、次の様に書かれています。「天保辛丑年より同号十三壬寅二月二十二日正遷座奉仕神主、二葉山住、管氏主斗亮廣次 謹上道山麓大松、若宮八幡社、再奉造立霊感鎮座御璽今上天子萬世長久征夷大将軍国主御武運長久、五穀豊饒、雨風順時、萬民和楽、漁業繁昌、云々」。とあり、世話人頭として與治兵衛、吉右衛門、庄官田中九郎與治兵衛。外世話人二十四人、大工蔵貫村清藏とあります。
 此の時は南向きに建てられてました。
 現在の社殿は、明治十二年に建立新築されたもので、此の時に居城の堂山城(城の森)が見えるようにと西向きに建て替えられました。【棟札 西予市指定有形文化財=昭和六十二年十月七日指定】
札所等: 
解 説
伝 説:
H P:
文化財等:
資料等:現地説明板、城郭放浪記様、
駐車場:無し(伊予銀行開店までは当行駐車場で)
撮影日:2018年9月18日
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近隣施設:賀茂神社

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 盃状穴の手水鉢
 右側にある手水鉢を「盃状穴の手水鉢」といい、信仰の篤いお宮nakanohaasiいのみ残されている貴重なものであります。
 鎌倉時代頃より、お参りをする時に祈願成就・子孫繁栄等を念じながら小石を持って手水鉢の縁へキリキリ揉み込むと願いが叶うと言いう習慣があり、鉢の縁に盃状の窪みが作られています。この手水鉢には十二ヶ所の窪みがあり、とても嬉しいです。十年や二十年ではこのようにはなりません。
 手水鉢に年号が彫られていますが風化して字が読めなくなっています。おそらく若宮神社創建当初からのものと思われます。
 後から奉納された手水鉢は明治三年奉納と有りますが、明治以降の手水鉢にはこの習慣が無くなり、盃状穴を見ることは出来ません。
 この「盃状穴の手水鉢」は地域住民からの篤い信仰を寄せられたことを証明する貴重な文化遺産であります。
 西予市には、宇和町伊賀上の「歯長寺」にもこの「盃状穴の手水鉢」が残されています。
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 河童の狛犬
 拝殿の両脇に河童の石像が狛犬のように若宮様をお守りしており、土地の人々はエンコ様と呼んで敬愛しています。向かって左側の河童は鯛を抱えており、このような狛犬は全国でもこれ一例のみです。
 この河童は、高山城主宇都宮修理太夫正綱公(若宮様)にまつわるわる伝説で、正綱公の恩情と、河童の恩返しを現しております。
 三百年昔に載成された「宇和旧記」にも、若宮様と河童の伝説が詳しく書かれて居ります。
 此の石像は、明治十四年(1881)に建てられました。【西予市指定有形文化財=昭和四十九年十月一日指定】
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 正綱公廟
 若宮様こと宇都宮修理太夫正綱公は、天正七年(1579)岡本城合戦の折、援軍として三間表へ赴き、土佐の長宗我部軍との合戦で討死しました。家臣達はその首級を持ち帰り、大松の根元え埋めたとありいます。
 その大松は松喰虫にの為、昭和三十九年に枯れたのが惜しまれます。
 正綱公は、西園寺旗下黒瀬衆八騎の一人として、槍と馬の名手であったと伝えられ、宇和郡記にも「正綱は宇都宮氏にして、武勇衆に勝れたる名士なり、岡本城激戦の時戦死す。」と書かれて居ります。
 廟に供えられたお水は、イボ取りの霊験があるとされ、常に清らかな水が供えられて居て、信徒の香華も絶えません。
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神社名:賀茂神社(明浜町高山)
主祭神:別雷命
創 建:元久以前
創 基:佐藤一家
社 格:
住 所:愛媛県西予市明浜町高山甲1349番地
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電 話:
由 緒:寿永治承元暦の頃、源義経が功に依り伊予国を所領としたが、「社伝宇和旧記」に「此の時佐藤一家予州の奉行を蒙る」とあり、「此国に向う時、京賀茂川を渡るに賀茂大明神矢筈に乗給うを勧請し奉る也」とあって、佐藤一家がその守護神である賀茂大明神を勧請したのに始まる。
札所等: 
解 説:
伝 説:
H P:
文化財等
賀茂神社宵宮潮垢離(しおごり) 西予市指定無形民俗文化財 昭和57年5月1日指定
 賀茂神社の秋の大祭の宵宮に三体の神輿舁(みこしかき)と警護達三十数名の若者が、身を清める潮垢離の行事が今でも引き継がれている。
 現在は役場前の埋立地の三箇所に、割木を井桁に高く積み上げて夜空を焦がすばかりに明々と篝を焚き、全員裸になって海に飛び込んで祓ぎをするわけである。
 篝が消えかかる頃、海に一昼夜漬けていた牛鬼を引き上げて、潮垢離行事を終える。

金弊 西予市指定有形文化財
 賀茂神社には古くからの金弊が三体あり、その一体の頭部に「奉寄進貴船大明神御金弊施主宇都宮長三郎藤原朝臣正綱寛文四年七月吉日敬白」とある。この方は高山浦三代目庄屋で田之浜開作の功労者である。
 なお柄の中程に「奉再興文政七年申年三月吉祥日 家運長久願主田中姓」とあるので大修理されたものと思える。この方も庄屋で名字帯刀御免田中九郎治信義で高山浦改革に業績のある人。
 三百二十年以前の金弊やその他に古い金弊の多いのは珍しい。
資料等:現地説明板、愛媛県神社庁、
駐車場:無
撮影日:2018年9月18日
近隣施設:明石寺仏木寺龍光寺

賀茂神社の常夜燈 市指定有形民俗文化財 昭和62年10月1日指定
「ここの二基の常夜燈は、高山本浦の若者組が明治九年(1876)八月に賀茂神社に奉献したものである。
 建立後、毎夜の燈火をつける役は若者が交代で当り、若者宿が、なくなるまで続いたと言われる。
 南側(県道沿)の一基には奉献者 竹原長太朗ら十二人の氏名が刻まれてあり、高山五か所の宿の二十四歳までの年長者連中である。
 北側(忠魂碑裏)の一基には『奉献宇都宮惣左衛円内吉田彦六他若者中』とあるので宇都宮家を宿とする者全員の寄進と考えられる。」

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奇岩?
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駅 名:卯之町(うのまち)駅 木造駅舎
鉄道会社:四国旅客鉄道
路線名:予讃線
駅構造:地上駅 単式ホームと島式ホーム2面3線
開 業:昭和16年(1941)7月2日
住 所:愛媛県西予市宇和町卯之町二丁目
解説等:駅は西予市宇和町の中心部に位置し、西予市役所をはじめとした公共施設、文化会館、商店街、金融機関店舗、農協本所などが集積している。鉄道とほぼ並行して走る国道56号のさらに東に旧道があり、商店街を形成している。さらにその東に旧街道があり、歴史的町並みが残っている。
 一日当たり400人足らずの乗客しかいないのに、全特急列車が停車するため、遠距離通勤者がよく利用している。それに対応するため、駅近傍にはかなり広めの駐車場が確保されている。
 高標高に位置する駅の一つであり(208m)、特に冬場は冷え込みが厳しい地域である。そこで1959年から当時の宇和町観光協会(現・西予市観光協会宇和支部)により列車を待つ人に少しでも体を暖めてもらいたいという願いから、12月から3月にかけ駅待合室に「愛の火鉢」が設置されている。ただし、火気を取り扱うため、火は駅窓口の営業時間帯(7時~18時頃まで)にしかつけていない。(綺麗な女性の職員がいる)
文化財:
資料等:Wikipedia様など
撮影日:2016年11月29日

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