四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 愛媛県大洲市

末永家住宅
住 所:愛媛県大洲市長浜甲309
所在地 マピオンマップ↓↓↓↓
電 話:
文化財指定:末永家住宅百帖屋敷=接客施設、末永家住宅旧主屋両棟 国登録有形文化財=平成15年1月31日登録
建築年代:末永家住宅旧主屋は明治17年(1884) 末永家住宅百帖屋敷は昭和2年(1927)
改築等:
用途区分:住宅
残存建物:主屋・蔵・庭
公開状況:無料公開【百帖屋敷】
解説等
 末永家住宅
 末永家は、代々長浜で回漕業を営んでおり、明治中期頃には回漕業以外にも塩・肥料などの商品も取り扱う店へと経営を拡大し、長浜きっての資産家へと成長しました。
 末永家住宅の建築主である「末永四郎平」は、明治35年より長浜町議会議員を5期、さらに昭和10年から11年まで町長として活躍した人物で、この建物は、港町として栄えた長浜の歴史を伝える重要な建物といえます。

旧主屋
 旧主屋は、末永家の建物の中でも最も古く、明治17年に建築されたもので、1階は末永商店の店舗兼住居として造られています。2階は建築当初は物置として活用されましたが、後に天井を張り居住出来る部屋へと変更されています。
 外観に見られる格子付窓黒漆喰の壁やなまこ壁などは、同時期に建築された内子町の「本芳我家」=国重要文化財によく似た印象を与える建物です。

百帖座敷=公開
 百帖座敷は、18畳の座敷二間と5畳の次の間から構成された建物で、かつては、渡り廊下で茶室(現在の広場附近)と繋がっていました。建築年代は、内部の襖絵から昭和2年頃と考えられています。
 内部には、合板による折り上げ格天井が設けられているほか、洋風装飾なども見られます。
 この建物は、末永家の接客用施設であり、地元の祭りや敬老会などの集会所としても利用されていたと伝えられています。 
資料等:下記HP、Wikipedia、 現地説明板、
H P:大洲市HP
駐車場:無料
撮影日:2018年9月18日

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百帖座敷
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駅 名:伊予長浜駅
鉄道会社:四国旅客鉄道
路線名:予讃線(愛ある伊予灘線)
駅構造:地上駅 2面3線 無人駅
開業日:大正7年(1918)2月14日 愛媛鉄道の長浜町駅として開業する。
住 所:愛媛県大洲市長浜
マピオンマップ↓↓↓↓↓

解説等:3番ホームは、上り(松山)方面午前中のみ停車する。午後は上り(松山)及び下り(大洲・宇和島)方面とも1番ホームに停車する。なお、2番ホームは現在使用中止になっている。急行などは通過もない。
歴 史:当駅は肱川の河口に木材の集散地として発達した長浜の市街にある。
文化財:
資料等:Wikipediaなど、
撮影日:2018年9月18日
近隣施設:長浜大橋、末永家住宅百帖座敷、

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るり姫伝説 紙芝居
 十六世紀も終わりの頃の話です。
 白滝のすぐ隣、米津(よなず)という所に「滝の城(別名米津城)」がありました。切り立った崖の上にあり、敵にも中々攻めにくいお城でした。
 白滝公園は、城主の津々喜氏の遊園地でもありました。桜のほころぶ頃には、奥方の瑠璃姫は家臣と共に白滝公園によくやった来ては、花見をたのしんだものでした。
 家老の下西左衛門も、分銅のついた鎖を振り回す「乳切木術」という舞を、力強く披露しました。瑠璃姫らは、かっさいをおくり、平和な春の白滝を満喫していました。
 この平和なお城も、「戦国時代」の波が押し寄せてきたのは、それから数年後のことでした。断崖絶壁の上にたてられたお城も、四国一の力を持つ長宗我部氏の前に、簡単に取り囲まれてしまいました。
 しかし、瑠璃姫の娘、八重姫・九重姫は、八双手裏剣の名手。瑠璃姫自身も清流長刀の指南であり、また吹き矢は神技とも言われるほどの腕前でした。
 「殿、瑠璃姫らの見事な吹き矢にて、我が軍も多数の負傷者が出ております。ほとまず退散して、体制を整え直してはいかがでしょか。」
 敵の軍勢は、じりじりと後退し始めました。「もう一息です。すべての吹き矢をここに持ってきなさい。」瑠璃姫の必死の叫び声が、山々に響き渡ります。
 そのときです。一人の侍女が、吹き矢を運びながら、瑠璃姫にこう叫びました。「瑠璃姫様、大変です。これが残りの吹き矢すべてでございます。」吹き矢はもう十数本しかございません。
 「なるほど、瑠璃姫の吹き矢も、これでおしまいか。ものども、もはや、ひるむことはない。かかれ。」、今にも退散しかけていた長宗我部の軍勢も、この侍女の言葉に、たちまち勢いを取り返しました。
 城は、まもなく討ち滅ぼされてしまいました。一方、瑠璃姫らは、やっとのことで、白滝の雌滝の上まで逃げ延びてきました。しかし、背後に、追っ手はなおも近づいてきます。
 「もはや、これまで。」そう悟った瑠璃姫は、八重姫、九重姫を呼び寄せて言いました。「敵にとらえられ、一生辱めを受けるこの尊雄丸が不敏です。私は、この子とともに、この滝より身をなげようと思います。」
 「世に悩める婦人病を治し、子のない婦人には子宝を授けるため、生き延びて、我らが霊を慰めよ。」瑠璃姫は、泣すがる二人の姫を振り払い、尊雄丸と共に滝壺の中に吸い込まれていきました。
 残された姉妹の二人は、瑠璃姫の言いつけに従い、何とか逃げ延び、後に瑠璃姫と尊雄丸の霊を弔う観音様を奉りました。
 それ以来。ここ白滝に住む者は、「瑠璃姫祭り」をして、二人の霊を慰めるようになったのです。
 毎年十一月二十三日に行われるこの「瑠璃姫祭り」は、幼児の無事成長を願う「稚児行列」と雌滝の上から落とす「樽御輿」で有名で、この時期には多くの観光客が訪れます。
 製作 白滝フロンティア会 伝説「女郎が淵」より

るり姫塚の由来
 戦国末期、元亀元年(1571)秋、現在の愛媛県大洲市米津地区にあった米津城(滝ノ城)は、土佐の長宗我部氏による再三の侵攻に奮戦むなしく、ついに落城した。城主の奥方、瑠璃の方は、二歳になる世継ぎ尊雄丸を小脇に抱え、八重姫、九重姫と侍女達を励まし、血路を開いて白滝公園のこの地に辿りついた。
 そこで二人の姫をそば近くに招き「姉妹は後に生き残りて霊を慰め、冥福を祈れかし、世に悩める婦人病をなおし、子なき婦人には子宝を授け得させん」と叫びつ、尊雄丸を抱き六十メートル下の滝つぼへ投身した。残る侍女達も続いて滝つぼへととび込み水死した。今、この滝つぼを「女郎が淵」と称えている。米津城の十六代城主、吉右衛門蔚、藤原行春(津々喜谷遠江守藤原行春)も残る家臣と共に菩提寺である横松山西禅寺(大洲市成)において自刃して果てたと云い伝えられている。当地では、これらが霊を慰めるため、毎年十一月二十三日を祭日とさだめ、るり姫の供養が盛大に行われる。
長浜観光協会(現大洲市長浜支部)
以上、現地説明板より転載しました。

撮影日:2014年11月6日
近郊施設:沖浦観音、不動滝、長浜大橋

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雌滝
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詳しい地図で見る

名 称:伊予 白滝 (白滝公園)
住 所:愛媛県大洲市白滝
河 川:肱川水系滝川
山 名:壺神山(971m)
標 高:雌滝 雄滝 落合の滝     合歓の滝 (他に来光の滝30m 都の滝7m 貫洞の滝6m)
落 差:85m 80m 左20m右25m  4m
エピソード:当地米津城主の奥方(るり姫)と世継ぎ尊雄丸が滝壺に飛び込み水死したとの伝説が残っている白滝の雌滝。(後日記事にします。)
 この公園は、モミジの名勝 滝まつり11月第3日曜日(16日)ですが、モミジの見ごろは、3連休頃の見込み。(問)大洲市観光協会長浜支部 0893-52-1111
周辺施設:長浜大橋 沖浦観音 不動滝(龍王ノ滝) 
資料等:当地パンフレット
撮影日:2014年11月6日

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神社名:秋滝竜王神社
主祭神:不明 (農業・漁業の神様)
創 祀:
住 所:愛媛県大洲市河辺町北平
由 緒:
解 説:滝に竜が棲んでいるという神秘的な伝説が今も伝えられる神社。神殿の奥手にある「竜王の滝」は常時水量が多く、高さ10mから壮大に流れ落ちる様は、「樽の竜王様」と呼ばれ地元民に愛され続けている。過去には滝壺に大ウナギが2匹棲んでいることが発見され、竜の化身ではないかと話題になったこともある。現在は確認できていないが大ウナギは竜の化身として、今でも密やかに棲んでいるかもしれない。
文化財等:
近隣施設:河辺ふるさと公園、三杯谷滝
資料等:大洲市HP、いよネットHPより転載しました。
撮影日:2013年12月10日
場 所:スポットノート『神社祠map/自然景観map』に投稿します。
 
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