カテゴリ: 香川県さぬき市
第25回さぬき源内まつり
第25回さぬき源内まつり
月日:2014年3月23日(日)
場所:平賀源内記念館
住所:香川県さぬき市志度
電話:087-894-1684 問い合わせ 087-894-1684
主催:さぬき源内まつり実行委員会
後援:さぬき市、さぬき市商工会
協賛:さぬき市観光協会、平賀源内先生顕彰会、エレキテル尾崎財団
特別協力:徳島文理大学(志度湾プロジェクト=記念館2階)、香川県立志度高等学校MINIフリーマーケット=さぬき市青少年交流プラザ前)
第3回S-1グランプリ (S=SANUKI・SWEETS)
出店菓子店
Aina ふろーりあん、風月堂、夢菓房たから、てつや商店、つるや本舗、西内花月堂、かにわしタルト店、サン。ファソン、白十字、Bakery&Cafe あい
大山神社
神社名:大山神社
主祭神:誉田和気命
創 祀:
住 所:香川県さぬき市鶴羽小路
由 緒:津田の石清水神社の旧宮で、仁和年中(885~889)、山城国石清水八幡宮の分霊を大山に勧請し、一郷の総鎮守としたが、後、津田神野の地に遷座し、里人その跡に社殿を造営して、鶴羽八幡宮または大山八幡宮と称え、崇敬して現在にいたっているという。『讃岐国名勝図会』には「当社は津田八幡宮旧地なりとぞ」とある。
解 説:大正四年、御大典記念事業として、地区青年団及び氏子の奉仕により、神苑を造営し、神池を設けて、境内を整備した。その後、昭和四十二年十二月十日、さらに神域の樹木を伐採し、清掃を行って、桜樹四百本(吉野二百、八重二百)を植栽した。社地高燥にして、国道十一号線を隔て播磨灘に面し、絹島・丸亀島を眼下に眺め、遠く淡路島・小豆島を望み得て、眺望きわめて絶佳である。
資料等:香川県立図書館蔵 津田町史(現さぬき市津田町)
文化財等:
その他指定:
近隣施設:津田の松原、道の駅「津田の松原」、大川オアシス、
撮影日:2014年2月21日
場 所:スポットノート『神社祠map/伝説・民話map』に投稿します。
主祭神:誉田和気命
創 祀:
住 所:香川県さぬき市鶴羽小路
由 緒:津田の石清水神社の旧宮で、仁和年中(885~889)、山城国石清水八幡宮の分霊を大山に勧請し、一郷の総鎮守としたが、後、津田神野の地に遷座し、里人その跡に社殿を造営して、鶴羽八幡宮または大山八幡宮と称え、崇敬して現在にいたっているという。『讃岐国名勝図会』には「当社は津田八幡宮旧地なりとぞ」とある。
解 説:大正四年、御大典記念事業として、地区青年団及び氏子の奉仕により、神苑を造営し、神池を設けて、境内を整備した。その後、昭和四十二年十二月十日、さらに神域の樹木を伐採し、清掃を行って、桜樹四百本(吉野二百、八重二百)を植栽した。社地高燥にして、国道十一号線を隔て播磨灘に面し、絹島・丸亀島を眼下に眺め、遠く淡路島・小豆島を望み得て、眺望きわめて絶佳である。
資料等:香川県立図書館蔵 津田町史(現さぬき市津田町)
文化財等:
その他指定:
近隣施設:津田の松原、道の駅「津田の松原」、大川オアシス、
撮影日:2014年2月21日
場 所:スポットノート『神社祠map/伝説・民話map』に投稿します。
大山八幡御渡所の碑
当県大川郡鶴羽村鎮座の大山神社は地方有数の旧社にして霊顕新たになるはよく知る所なり。しかるに近時いくたの変遷を経て神域荒廃し社殿甲頽廃往時の名残をとどめず、遺憾の極みなり。之に依り神主本沢福寿氏、時の村長寺村清夫氏ならびに氏子惣代等と協議し弘恢再興の大任を白井新太郎に託さる。
彼日夜焦慮しついに大阪に上り池田勘七氏に謀る。氏は郷土も出身にて世に聞きゆる篤信家なり、故に直ちに賛同し多大の金額を拠出し、あまつさえ有志の人を語らい惣ち二千余金を得たり。
かくして大正十年春工事に着手し弊殿、拝殿を修繕し社殿裏に二重の石垣を築き廻り馬場に石垣を畳み、新太郎宝満池を開く、大正十五年十月二日御輿渡御の祭典執行す。是全く江湖の敬神家諸氏新太郎外□□翼讃さられたる基因するもの真に往年を回想し感激実にあらたなるものありというべし 以下略
当県大川郡鶴羽村鎮座の大山神社は地方有数の旧社にして霊顕新たになるはよく知る所なり。しかるに近時いくたの変遷を経て神域荒廃し社殿甲頽廃往時の名残をとどめず、遺憾の極みなり。之に依り神主本沢福寿氏、時の村長寺村清夫氏ならびに氏子惣代等と協議し弘恢再興の大任を白井新太郎に託さる。
彼日夜焦慮しついに大阪に上り池田勘七氏に謀る。氏は郷土も出身にて世に聞きゆる篤信家なり、故に直ちに賛同し多大の金額を拠出し、あまつさえ有志の人を語らい惣ち二千余金を得たり。
かくして大正十年春工事に着手し弊殿、拝殿を修繕し社殿裏に二重の石垣を築き廻り馬場に石垣を畳み、新太郎宝満池を開く、大正十五年十月二日御輿渡御の祭典執行す。是全く江湖の敬神家諸氏新太郎外□□翼讃さられたる基因するもの真に往年を回想し感激実にあらたなるものありというべし 以下略
大山の砂かけダヌキ
大山神社の境内に一歩足を入れると、たちまち辺りの木々の葉が「ザーザー」とゆれる。木もれ日の光に、丸く太った豆ダヌキのころころと走りぬける姿が見られた。それは人々に神への畏怖と自然の神秘さを教える。里人は拝殿まで通ずる参道の木々の砂をかけながら「なむ大神さま、われらを守り給え」と念ずる。念じながら、まわりの木々に砂をかける。これはいつしか習わしとなり、大山神社の豆ダヌキを里人は砂かけダヌキと呼ぶようになった。その後も大山の里一帯に豆ダヌキが出没し、昭和の初期までその姿があちこち見られたという。
ある日、桃の節句のおよばれで、帰りの遅くなったヨネさん、、あわてて赤ん坊をおんぶして山道を我が家へと急いでいた。日はとっぷり暮れ、中谷の里を過ぎ大山への山越えの道にさしかかった。木々の間にただ白く続く道を目じるしに歩を急ぐ。すると突然「ザーザー」という音に、ヨネさんはぎょっとなった。音のする方を見ると春がすみの中に浮んだように人の姿がはっきり見える。そして、どんぐりまなこに、にたっと笑った顔。手にはがんじき(熊手)を持ちこくばをかいているのである。ヨネさんは思った。「さては豆ダヌキ。里の衆がいうておった豆ダヌキにちがいない」と。豆ダヌキは化かすというので、背中の赤ん坊をしっかりにぎり、「イトよ、イトよ」と大きな声であやしながら山道をたどる。やっと人家の明りが見え里の家にたどりついた。その家では風呂をたいている。たき口でこくばをもやしている吉造さんの後ろ姿が見えた。やれやれと思ったヨネさんは声をかけた。「おじさんふろたいとんな。さっき、山越えの道でタヌキに会うてああ、おそろしかった。だまされんかと」すると、吉造さんと思った人は、「こんなタヌキでなかったかな」とくるりと顔を見せた。その顔こそ、山越えの山でこくばをかいていたどんぐりまなこのにたっと笑った顔であった。ヨネさんは悲鳴をあげると、我が家めざしかけていった。
あとには、いく匹もの豆ダヌキがころげるように走りまわっていたという。
こんな話があちこちで聞かれ、タヌキに化かされたという話はあとをたたず里をにぎわしたという。
香川県立図書館蔵 津田町外史第六章民話・史話・伝説より転載しました。
大山神社の境内に一歩足を入れると、たちまち辺りの木々の葉が「ザーザー」とゆれる。木もれ日の光に、丸く太った豆ダヌキのころころと走りぬける姿が見られた。それは人々に神への畏怖と自然の神秘さを教える。里人は拝殿まで通ずる参道の木々の砂をかけながら「なむ大神さま、われらを守り給え」と念ずる。念じながら、まわりの木々に砂をかける。これはいつしか習わしとなり、大山神社の豆ダヌキを里人は砂かけダヌキと呼ぶようになった。その後も大山の里一帯に豆ダヌキが出没し、昭和の初期までその姿があちこち見られたという。
ある日、桃の節句のおよばれで、帰りの遅くなったヨネさん、、あわてて赤ん坊をおんぶして山道を我が家へと急いでいた。日はとっぷり暮れ、中谷の里を過ぎ大山への山越えの道にさしかかった。木々の間にただ白く続く道を目じるしに歩を急ぐ。すると突然「ザーザー」という音に、ヨネさんはぎょっとなった。音のする方を見ると春がすみの中に浮んだように人の姿がはっきり見える。そして、どんぐりまなこに、にたっと笑った顔。手にはがんじき(熊手)を持ちこくばをかいているのである。ヨネさんは思った。「さては豆ダヌキ。里の衆がいうておった豆ダヌキにちがいない」と。豆ダヌキは化かすというので、背中の赤ん坊をしっかりにぎり、「イトよ、イトよ」と大きな声であやしながら山道をたどる。やっと人家の明りが見え里の家にたどりついた。その家では風呂をたいている。たき口でこくばをもやしている吉造さんの後ろ姿が見えた。やれやれと思ったヨネさんは声をかけた。「おじさんふろたいとんな。さっき、山越えの道でタヌキに会うてああ、おそろしかった。だまされんかと」すると、吉造さんと思った人は、「こんなタヌキでなかったかな」とくるりと顔を見せた。その顔こそ、山越えの山でこくばをかいていたどんぐりまなこのにたっと笑った顔であった。ヨネさんは悲鳴をあげると、我が家めざしかけていった。
あとには、いく匹もの豆ダヌキがころげるように走りまわっていたという。
こんな話があちこちで聞かれ、タヌキに化かされたという話はあとをたたず里をにぎわしたという。
香川県立図書館蔵 津田町外史第六章民話・史話・伝説より転載しました。
拝殿
本殿
御旅所
大山八幡御渡所の碑
日支事変忠魂塔
馬の石像(野間馬に似ている)
播磨灘
津田岩清水神社(八幡神社)
神社名:津田岩清水神社(八幡神社)
主祭神:誉田別命 息長帯姫命 玉姫命
創 祀:
住 所:香川県さぬき市津田町津田106
由 来:古くは難波津(なにわず)と呼ばれ、海外では朝鮮半島と、又、国内では畿内(大和朝廷)などと交易のあった津田浦の氏神社で、仁和年間(885~888)、山城国(京都男山)岩清水八幡宮の分霊を勧請、現在地の西方にある雨滝山麓に津田八幡宮として鎮座しました。雨滝城主安富氏の保護も篤かったと伝えられています。天正十一年(1583)、長宗我部軍の兵火により衰退しましたが、文禄元年(1592)八月に再興しました。この後、慶長五年(1600)、現在の地に遷座しました。後地は座殿池という名のため池となっています。明治五年、現在の岩清水神社と改称しました。
特 徴:県下最大の海水浴場である『津田の松原』は、『琴林公園』とも呼ばれ、その昔は高松城主、松平氏の領地でした。その五万坪土地に、神域として氏子が日向松の苗を植えたのが松原の始まりだと言われています。
当社は、その松原の中にあり、階段が全くない平地に社を構えているため参拝も容易にでき、さらに道の駅が隣接しているため、車でも簡単にアクセスできます。又、珍しいことに当社の狛犬は日本狼です。
文化財等:瀬戸内海国立公園
近隣施設:津田の松原(琴林公園)、道の駅津田の松原、
主祭神:誉田別命 息長帯姫命 玉姫命
創 祀:
住 所:香川県さぬき市津田町津田106
由 来:古くは難波津(なにわず)と呼ばれ、海外では朝鮮半島と、又、国内では畿内(大和朝廷)などと交易のあった津田浦の氏神社で、仁和年間(885~888)、山城国(京都男山)岩清水八幡宮の分霊を勧請、現在地の西方にある雨滝山麓に津田八幡宮として鎮座しました。雨滝城主安富氏の保護も篤かったと伝えられています。天正十一年(1583)、長宗我部軍の兵火により衰退しましたが、文禄元年(1592)八月に再興しました。この後、慶長五年(1600)、現在の地に遷座しました。後地は座殿池という名のため池となっています。明治五年、現在の岩清水神社と改称しました。
特 徴:県下最大の海水浴場である『津田の松原』は、『琴林公園』とも呼ばれ、その昔は高松城主、松平氏の領地でした。その五万坪土地に、神域として氏子が日向松の苗を植えたのが松原の始まりだと言われています。
当社は、その松原の中にあり、階段が全くない平地に社を構えているため参拝も容易にでき、さらに道の駅が隣接しているため、車でも簡単にアクセスできます。又、珍しいことに当社の狛犬は日本狼です。
文化財等:瀬戸内海国立公園
近隣施設:津田の松原(琴林公園)、道の駅津田の松原、
文は、現地説明板より転載しました。
撮影日:2014年1月31日
場 所:スポットノート『神社祠map』に投稿します。
撮影日:2014年1月31日
場 所:スポットノート『神社祠map』に投稿します。
石鳥居
随心門
手洗い舎
拝殿
本殿
3対ある狛犬のうち拝殿前の狛犬は日本狼の姿
西側の玉垣
御旅所
神前神社と石仏
神前神社と石仏
神前神社 祭神 猿田彦命 香川県さぬき市寒川町北山崎 讃岐国二十四神社
神崎神社は、「神前明神」とも言われ、土地の人々は「こうざきさん」とか「みょうじんさん」と呼んでいる。玉
神崎神社は、「神前明神」とも言われ、土地の人々は「こうざきさん」とか「みょうじんさん」と呼んでいる。玉
垣に囲まれた境内正面の鳥居をくぐると、狛犬・注連柱の向こうに横5間の立派な拝殿がある。その奥に猿田
彦命をお祀りしてある銅板葺きの神殿が建っている。
現在は、男山神社の境外末社であるが、もとは神前村村社であった。また祭神についても「応神天皇」と言う
現在は、男山神社の境外末社であるが、もとは神前村村社であった。また祭神についても「応神天皇」と言う
説もあるがこの神社はいつできたかはわからない。また神前という地名は猿田彦命の天孫の御前奉仕に由来し
て神前(カムサキ)となったといわれている。
石仏 香川県さぬき市指定有形文化財(彫刻)
この石像は、白色凝灰岩製で、風化が進んいるため仏像か神像かの判別が難しく、仏像・神像の両説があり
ます。
仏像説では、この像を横から見るとやや前かがみなっているところが、仏像ではないかと考えられ、造像当
仏像説では、この像を横から見るとやや前かがみなっているところが、仏像ではないかと考えられ、造像当
初は、全身立像で、鎌倉時代末期か室町時代初期頃の地蔵菩薩像、又は、薬師如来像と推定されます。
神像説では、この像の真ん中あたり(鼻の部分)が高くなっているので、猿田彦命ではないかと考えられていま
神像説では、この像の真ん中あたり(鼻の部分)が高くなっているので、猿田彦命ではないかと考えられていま
す。また、旧神崎村八幡宮由来帳に、山崎「具名登二社」という記載が残っているのが、この石像ではないかと
も言われています。近所の人は「おふなたさん」と呼んでいます。「具名登=久那斗」・「岐」とも書かれ、日本書
記には「是れを岐神と謂す。此れ本の号は来名戸の祖神と日す。」とあり、旅人を守る道祖神であるといわれて
います。
人は自分の生涯のどこかで、信じるものを失いかけることに出会います。そんな時、石像であれ、木造であ
人は自分の生涯のどこかで、信じるものを失いかけることに出会います。そんな時、石像であれ、木造であ
れそのなかに神を求め、仏を信じ心のよりどころを探して祈ります。救われたい人の弱さを、この像はじっと
見守り、やすらぎと生きる喜びを与えてきたに違いありません。
さぬき市教育委員会 さぬき市文化財保護協会 設置説明板より転載しました。
写真は2013年5月19日撮影
場所はスポットノート『神社祠map/石塔・石碑map』に投稿します。
さぬき市教育委員会 さぬき市文化財保護協会 設置説明板より転載しました。
写真は2013年5月19日撮影
場所はスポットノート『神社祠map/石塔・石碑map』に投稿します。