四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 高知県南国市

前浜掩体(えんたい)群
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住 所:高知県南国市前浜

解説等
 高知空港の南側の田園地帯に、第二次世界大戦中に使用された旧高知海軍航空隊基地戦闘機格納庫「掩体(えんたい)=コンクリート製」が7基点在。反戦への願いを込めて保存されています。
 前浜公民館に案内看板と駐車場があり、徒歩約1時間で全てをゆっくり巡ることができます。
史跡指定:高知県南国市指定史跡 2006年
撮影日:2023年3月15日
資料等:南国市観光協会HPなど、

古墳名:小蓮(こはす)古墳
住 所:高知県南国市岡豊町小蓮
場 所:マピオンマップ↓↓↓↓
マップコード↓↓↓↓↓
73 344 468*87
形 式:楕円形(築造当初の墳形は不明)
規 模:長径(南北)28m 短径(東西)22m 高さ7.13m
石 室:両袖式横穴式
羨 道:玄室・羨道を含めた石室全長は10.8m
築造期:6世紀後半
史跡指定:高知県指定文化財(史跡)=昭和28年(1953)1月29日指定
解 説
 玄室には床面に割石が敷き詰められている。
 石室内から須恵器・金銅製中空玉・金環・鉄刀子・鉄鏃・馬具・ヤリガンナなどが出土している。副葬品から判断して、有力な古代豪族の墳基とみてよい。
資料等:Wikipedia、現地説明板など、 
撮影日:2019年1月14日
アクセス:高知県道384号を高知方面岡豊山バス停(標識は車道側には見えないが、右側のは車道側よりも岡豊山と書いている)岡豊病院方面へ右側に小さな標示板がある。
駐車場:無し(道も狭い)

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国分川の地蔵渡し 高知県南国市国分
 国分橋が明治三十年(1897)に架けられるまでは、国分と南方との交通は、地蔵渡しを徒渉する一本であった。渡しの南は遍路道と一体をなし、北は国分寺、領石と結んでいた。
 ここ北側の堤防上には文化七年(1810)の刻のある花崗岩の地蔵菩薩像があり、この渡し名の由来や古さがわかる。地蔵渡しは、国分寺への遍路道の一つであり、お遍路さんの道しるべ的存在でもあった。
 尚、この北岸一体にかけて「マチ」「マチガシラ」「イチバ」「ヒガシフルイチ」「ニシフルイチ」のホノギ(小字)があり、南岸の廿枝(はたえだ)「フルイチ」とならび国庁、国分寺の全盛時代の市場化、市街化が想像される。北方に見える木立は国分寺跡で国の史跡に指定されており、林内には四国霊場二十九番札所、国分寺がある。
資 料:現地の説明板
撮影日:2014年9月26日
近隣施設:土佐国分寺、土佐国分寺跡、紀貫之居館跡、道の駅「南国風良里」

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国分川
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この石組みは雁木かも
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【十市の琴平神社】
 琴平神社は高知県南国市里改田の琴平山に鎮座しています。
 眺望素晴らしい琴平神社は、天智天皇が五穀豊穣と国民の幸福を願い黒田郷に黒崎の宮を建立した事に端を発します。その後黒田郷は海に没し浜改田に移ったとされ、寛永18年に現在の里改田に移築されたと伝えられています。(南国市HPより)

 琴平神社は、里改田の琴平山上にある。俗に十市の金毘羅さまというが、これは毎月十日、十日に市が立つので、十市の金毘羅さまというのがなまったものだという。
 その昔 天智天皇が、五穀の豊作と国民の幸福を願って、黒田郡に黒崎の宮を建てたのがはじまりだという。天武天皇の白鳳13年(684)の地震で、黒田郡が海中に没した後、浜改田の神田の地に、金毘羅大権現として祀った。
 現在の地に移ったのは、寛永18年(1641)のことで、臥龍山金毘羅大権現と称えたが、明治元年(1868)改称して、琴平神社ととなえるようになった。
 祭神は大物主命であったが、維新後 崇徳天皇を合祀した。拝殿・本殿・絵馬堂・神庫など壮麗をきわめ、香美郡美良布神社とともに、県下の壮麗な神社の双璧とされている。絵馬堂には、河田小竜、宮田洞雪、今井小藍など、郷土画家の大作が並んでいる。
 境内は広く、四方の眺めも絶佳、登山道路も舗装されたので、観光にも便利である。境内は西広場の南西隅に、通称を【灯明台】と呼ぶ礎石がある。藩政時代、明かりをともして、航海の便をはかったもので、現在の灯台の役目を果たしていたものである。
 毎年正月には、参拝者で賑わっている。(南国市商工会HPより)
  088-865-8881 
 拝殿、本殿、などは台風などにより荒廃が酷くなっているようで、見るに堪えない様相です。ただ、歴史は感じさせてくれる神社です。
 桜の名勝でもあるようです。
 写真は、2011年8月28日撮影
 場所は、ワイワイマップにスポット投稿します。

 鳥居
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 拝殿
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 本殿
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 玉垣など
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 碇と大きな壺
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 太平洋
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ワイワイマップの見方
yahooトップページ→地図→ワイワイマップ→「琴平神社」検索→《金毘羅街道・金毘羅灯籠map》を スクロールで選定する。

【法界山・大日寺】
 四国八十八ヶ所霊場第28番・法界山(ほうかいざん)・大日寺(だいにちじ)・高照院(こうしょういん)は高知県南国市野市町にあるお寺で真言宗智山派 本尊は木造大日如来座像(伝行基菩薩)=国の重要文化財(彫刻)明治44年(1911)8月9日指定 開基は行基菩薩

 行基菩薩が開基したお寺であり、四尺五寸の本尊、大日如来も行基の作。
 その後、空海が来錫して中興し、本尊のご縁日の二十八日に因んで、第二十八番札所とされた。
 さらに、空海は、末世の人々との利益を願い、境内の楠の木に爪で薬師如来を彫られ、立木をそのまま奥の院となされ、楠の木は明治初年に倒れたが、その跡地に一堂を建立し霊木を安置している。以上が爪彫り薬師と呼ばれる由来であり、特に首から上の病に霊験ありといわれ信仰されている。この奥の院は山門から一丁ほど奥にある。
 明治の神仏分離令により廃寺になったが、本堂を大日堂と改称して本尊はそのまま祀っていた。明治十七年になって再興した。
  0887-56-0638
 文は四国八十八ヶ所詳細地図帖より転載しました。
 写真は、2011年8月29日撮影
 場所はワイワイマップにスポット投稿します。
仁王門 
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 本堂
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 大師堂
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 鐘楼
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 境内 
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 大日寺奥の院爪彫り薬師
 当院奉安の霊木は空海は楠の大木に薬師如来を刻まれたことから、爪彫り薬師として名高く、首から上の病気に霊験があると言われており、ご利益を頂くと自然に穴のあいた石を奉納することが習いとなっている。
 奥の院の横に流れ出る霊水は空海の加持水として古くから尊ばれ渇水時にも枯れた事がない。
 また、平成二年には高知県の名水に選定されている。
文は、現地説明案内板より転載しました。
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 霊水
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