四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 徳島県阿波市

【普明山・熊谷寺】
 四国八十八ヶ所霊場第8番・普明山(ふみょうざん)・熊谷寺(くまだにじ)・真光院(しんこういん)は徳島県阿波市土成町にあるお寺で真言宗高野派で本尊は千手観音菩薩立像 開基は弘法大師
 弘仁6年(815)霊場開創を求めて、この地を御巡錫中の大師が、あ伽が谷において修業中のことである。紀州熊野権現が出現し、この像を安置せよ、お告げて一寸八分(5.5cm)の金の観世音菩薩像を大師に授け去った。そこで大師は、自ら等身大の千手観世音菩薩を刻み、その頭髪の中へ百二十粒の仏舎利を入れ、金の観音像を胎内へ納めたのち堂塔建立。本尊として祀り、昭和2年の火災で本堂とともども消失している。現在のは、昭和47年に新しく作られたものです。
 文は四国八十八ヶ所詳細地図帖より参考しました。
 写真は、2010年11月5日撮影
 場所はワイワイマップにスポット投稿します。

 山門(仁王門)
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 中の門(仁王門)
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 本堂
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 大師堂
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 鐘楼
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 多宝塔
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 境内
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ワイワイマップの見方
yahooトップページ→地図→ワイワイマップ→「空海」で検索→《空海ゆかりの地と四国八十八ヶ所+別格二十霊場MAP》

を スクロールで選定する。

【光明山・十楽寺】
 四国霊場第7番・光明山(こうみょうざん)・十楽寺(じゅうらくじ)・蓮華院(れんげいん)は徳島県阿波市土成町にあるお寺で真言宗高野派で本尊は阿弥陀如来開基は弘法大師
 空海は、四国行脚中に十楽寺谷(現在の十楽寺より3km余り奥)に於いて阿弥陀如来を感得した。空海はその地に堂宇を建立し、感得した尊像を刻んで本尊とした。
 記事の参考資料は、四国八十八ヶ所詳細地図帖より
 写真は、2010年7月20日撮影
 地図は、ワイワイマップのスポット投稿します。
 鐘楼門
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 中門(遍照殿)
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 本堂
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 大師堂
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 お寺前の県道に有る道標
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ワイワイマップの見方
yahooトップページ→地図→ワイワイマップ→香川で検索→《空海ゆかりの地と四国八十八ヶ所+別格二十霊場》を スクロールで選定する。

<><>境目の大イチョウ<><>
 境目の大イチョウは徳島県阿波市市場町の県道2号の香川県境の近くにあります。
 境目の大イチョウは樹齢約600年の雌株で、幹囲約7.82m、高さは約25mもあり、昭和35年9月24日に徳島県の天然記念物に指定されています。地上3m付近に気根が無数に垂下し、ビロードシダが付着生息しています。 主幹は昔折れたものか、地上3mで周囲に9本の支幹が並立し、太いものはそれぞれ周2mに及んでいます。その分岐点付近からは、多数の小さな乳(気根)を垂れており、長さ1mに及ぶものもあります。

  いちょうさん
 この大銀杏のほか、四国のみち沿いでは払川と大窪寺の境内にも、大きな銀杏の木があって、共に「いちょうさん」と呼んでいます。「いちょうさん」はこの他にも各地にあります。
 また気根が空中に下がっているのが乳に似ていることから、「ちちいちょう」とも呼ばれています。昔 子の飲ませる乳が足りない人がこの銀杏の木に一合の米を供えて乳がよく出るように祈願したものだそうです。
 また、大阪夏の陣を戦った生駒讃岐守の弟甚助正信は、徳川方の豊臣残党狩りを逃れて、この地に隠れ住んでいたが発見されてこの大銀杏の下で切腹して果てたといわれています。 昭和60年3月 香川県
 記事は現地案内盤より転記しました。
 写真は2009年9月27日・11月9日撮影
 アクセス:高松からは大窪寺より国道377号を白鳥方面へ三叉路を右折(県道2号)すると直ぐに県境です。県境を越えると目の前に見えてきます。大イチョウの横三叉路から白鳥温泉・黒川温泉方面に出ることもできます。

 2009年11月8日撮影
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 2009年9月27日撮影
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