四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 徳島県阿波市

【宮川内ダム】
ダム名:宮川内(みやごうち)ダム
ダム湖名:
川 名:吉野川水系宮川内谷川
住 所:徳島県阿波市土成町土成町宮川
堰堤長:130m
堰堤高:36m
湛水面積:13ha
目 的:FNA(洪水・利水・灌漑)
形 式:重力式コンクリート
ダム事業者:徳島県
発電:なし
着手/竣工:昭和34年(1959)/昭和39年(1964)
四国堰堤ダム88箇所第1番堰堤札所
マピオンマップ↓↓↓↓
https://www.mapion.co.jp/m2/34.147537283883835,134.35481337822836,19

ダムカード:Ver.1.0(2013.03)
カード配布場所:宮川内ダム管理事務所
周辺施設:道の駅「どなり」・たらいうどん
資 料:現地説明板&ダム便覧&Wikipedia&電力会社HPなどから参照しました。
撮影日:2012年8月14日
追 記:2017年7月29日

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【秋月城と秋月歴史公園】
 秋月城(あきづきじょう)は、徳島県阿波市土成町秋月に室町時代の阿波国阿波郡秋月庄にあった城。
 建武三年(1336)の新政により小笠原氏(後の三好氏)に代って阿波国守護となって入国した細川和氏・頼春兄弟が、当地の土豪の秋月氏の受け入りにより築いた守護居館をもとに築城され四国統一の拠点となった。
 管領となった頼之の弟で阿波細川家の祖となった詮春の代に守護居城は勝瑞城に移った。

 この地は古代秋月郷と呼ばれ、土豪秋月氏がここに居館を構えた。文永年間守護小笠原氏から世継ぎを迎えたと伝えられている。
 細川阿波守和氏らは秋月氏に迎えられ、秋月に居館を構え四国全域に号令、四国管領として大きな勢力を誇っていた。
 秋月城は南北朝から室町時代にかけて、細川氏の拠点として枢要の地歩をしめていた。
 その後、細川詮春が勝瑞城に移った後、秋月中司大輔(森飛騨守)が守ったと伝えられている。
 天正七年(1579)、土佐の長宗我部軍の兵火にあって落城したといわれている。
 この城跡の周辺には、秋月城の名残りとして御原の泉・的場の跡・竈跡等が残っている。
 『秋月城跡案内板』よ転載しました

 城郭:平城
 築城主:細川和氏
 築城年:室町時代初期
 主な改修者:戸川達安
 主な城主:細川和氏・頼春・頼之・詮春など
 廃城:天正7年(1579)
 徳島県阿波市指定史跡
 
 文は現地説明板&Wikipedia&パンフレットなどより参照。
 写真は2012年5月22日撮影
 場所はワイワイマップ『城・城址のMAP』にスポット投稿します。

 秋月城石碑
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的場跡=お墓がある辺り(土塁でしょうか)
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 秋月歴史公園
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 模擬建造物の物見櫓
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 秋月城下守之址
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【土成岩屋古墳】
 この古墳は、横穴式石室で石材はこの近辺に見られる砂岩の自然石を用いている。
 石室の平面形は、片袖式で東側壁石側に羨道をつけ、入口は南面に開いている。玄室は、西側壁石側で長さ3.55m、奥壁での幅は1.55m、中央での幅は1.75m、玄室内天井石までは現床から2.1mあるが、その幅長さは不明である。また、築造時期は古墳時代後期と考えられる。
 この付近には、葬ヶ丸古墳群・向山古墳群等の古墳がたくさん残っていたが、後の開発等により殆ど破壊され、現存しているのはこの岩屋古墳のみである。
 文は現地説明石板より転載させて戴きました。
 アクセス:土成インターより県道139号を東へ国道318号を越え高速道の脇の139号を進んで行くと県道235号を左折高速を潜ります。山王子集会場(木造平屋建て民家風)の南の農道に入ります。突きあたりのお墓のある所を少し登ります。裏側からの道です。
 場所はワイワイマップにスポット投稿します。
 写真は2011年1月4日撮影


 県道脇の山王子集会場より左折農道に入る
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 この小さな小山の裏側に有る。(こちら側が裏)
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 墓地の間を行く
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【得度山・切幡寺】
 四国八十八ヶ所霊場第10番・得度山(とくどざん)・切幡寺(きりはたじ)・潅頂院(かんぢょういん)は徳島県阿波市市場町にあるお寺で真言宗高野派で本尊は千手観世音菩薩(伝弘法大師作) 開基は弘法大師
 弘仁年代の頃、切幡の山麓を通りかかった旅僧が機を織る音を耳にした。僧は自身の衣服の破れ繕う布切れを所望。娘は織りかけの布を惜しげもなく差し出した。感謝した僧は娘の願い「千手観音様を刻んで衆生を救いたい」を聞き入れ、その場で像を刻んで娘を得度させたところ、娘はたちまち千手観音の姿になった。仏法の即身成仏である。
 旅僧は大師であった。大師は此の事を嵯峨天皇に奉請。天皇は一山をと勅名した。そこで大師は切幡の山腹に堂宇を建立、切幡寺と命名した。
 大塔は国指定重要文化財に昭和50年6月23日に指定されている。
 大坂・住吉大社神宮寺が神仏判然令により廃寺になったため「西塔」を買い受け移築したものである。
 文は四国八十八ヶ所詳細地図帖などより参照しました。
 写真は、2011年1月4日撮影
 場所はワイワイマップにスポット投稿します。

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【正覚山・法輪寺】
 四国八十八ヶ所霊場第9番・正覚山(しょうかくざん)・法輪寺(ほうりんじ)・菩提院(ぼだいいん)は徳島県阿波市土成町にあるお寺で真言宗高野派で本尊は涅槃釈迦如来(御丈2尺5寸)(伝弘法大師作) 開基は弘法大師。
 本尊は涅槃釈迦如来は、御の丈2尺5寸あり、大師の作と伝えられています。霊場中、唯一の涅槃像であり珍重な存在。
 もとは白蛇山法林寺と号して、現在地より北約十町ほど山間にあった。が、天正年間、長宗我部の兵火に遭って堂宇ことごとく焼失した。
 その後、正保年間(1644~48)にかけて現在地に移転、再建したが、安政6年、光明堂から発した火により楼門を残して再び全焼した。現在の堂宇は明治時代に建立されたものである。
 ちなみに、元の白蛇山の山号を、現在の正覚山と改称したのは、正保年間の移転のときである。
 文は四国八十八ヶ所詳細地図帖より参照しました。
 写真は、2011年1月4日撮影
 場所はワイワイマップにスポット投稿します。

 山門
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 本堂
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 大師堂
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 鐘楼
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 境内
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 門前の道標
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