四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 香川県高松市

額池
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瀧本神社献灯
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大正二年 本樋及び竪樋換
昭和五年九月 前築などの碑
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管理者:香川県高松市前田土地改良区
河川名:新川水系
住 所:香川県高松市前田西町滝本
34.308609499083836, 134.11170300080087
堰堤長:198.0m 東南
堰堤高:8.0m
貯水量:52.9千立方m
目 的:「A」灌漑、 
形 式:アース
灌漑面積:15.7ヘクタール 高松市前田西町
解説等
 築造年代は不詳であるが、『香川県史10 近世史料Ⅱ』によると、宝暦五年(1755)の調査に基づき寛政九年(1797)再調査し、文政元年(1818)に高松藩が編集した『池泉合符録』の山田郡西前田村の項に同村内十九ヶ所と共に、一、額池 水掛高九十七石六斗とあり、同村では風呂谷池に次ぐ水掛高が記されたいる。
 貞享三年(1686)所定の『翁嫗夜話』の山田郡の項に、瀧元陂等が西前田にあると記され、この瀧元陂は字滝本にある額池のことでなかろうか。(陂=ひ・つつみの意味)
 池名の由来は、西前田村の古地図の中に、「滝本」の地名と並んで「田楽」の地名がある。額池は昔、この田楽の地への水源だった。それで田楽池が転訛して楽池になり、額池となったのではとおもわれる。《田楽は、猿楽と同じように田畑の神様を祈祷し、民衆芸能の二大主流であった。当時、東大寺の荘園だった前田地区では都との交流も盛んであったと思われる。その名残が田楽の地名であり、・・・》
 また、額池の由来は、北の山の麓にある瀧本神社に奉納されている額を洗い清めていたことから「額池」と名付けられたと言われている。
資 料:夢みらい図書館蔵:讃岐のため池誌、現地説明版など、
撮影日:2024年11月5日
駐車場:無し
附 則:高松市内45番目の貯水量
関連ブログ:瀧本神社

名 称:根上樫
樹木名:アラカシ(粗樫)
科・属:ブナ科コナラ属

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指定区分:香川県天然記念物=昭37年4月14日
樹 齢:
樹 高:約7.0m
胸高周囲:4.25m
枝張り:
附 則
 樹高の約3分の1、地上約2メートルが根という珍しい形になっているのが特徴である。
 幹と根との移行部分の太さは、直径65センチ、周囲約2メートルで、主根と支根の区別がつきにくく、ほぼ同じ太さの根が数本相交錯して網状になっている。
 明治の末、この位置に幹が二股に分かれた老松があり、樫が老松の分かれ股の部分に生えていた。成長と共に樫の根は、老松の空洞化した幹の中を通り地中まで根を下ろしていたが、その後、老松が枯死したため、この根上樫ができたものである。
場 所:栗林公園

住 所:高松市栗林町一丁目20-16
資 料:現地説明板、高松市HPもっと高松など、
撮影日:2024年4月10日

市宮池(いちのみやいけ)
別 称:八王子池

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北堰堤
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西堰堤
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太陽光発電所
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取水口
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余水吐け
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河川名:
住 所:香川県高松市香川町浅野

堰堤長:343.0m
堰堤高:9.7m
貯水量:379.0千立方m
目 的:「A」灌漑、 
形 式:アース
解説等
 灌漑面積:16.1ヘクタール 香川町浅野・多肥上町
 築造の由来ははっきり分からないが、延享二年(1745)に編纂された『翁嫗夜話』(後に『讃州府志』と改題)によると、当時浅野村に池が七つあり、その中に「一ノ宮池」の名があり、この『翁嫗夜話』に、ため池については「貞享三年(1686)八月所定也」とあるところから、310年以上昔に築造されたものと思われる。また、言い伝えによると、昔、一宮の田村神社付近の田畑が荘園(寺社領)であった。当時、荘官が田の水不足に困って、この地に池を築き、浅野から船岡、寺井を通って、一宮まで水を引くようにしたので市宮池と名付けたとも言われている。
 更に、宝暦五年(1755)二月の「香川郡東村々溜池記録」によると、当時浅野村掛りの池は十九あって、その中に「市宮池」があり、次のように記されている。
 市宮池
 二十五石 上浅野免
 五十石  下浅野免
 二十二石 上多肥村
 この市宮池は、浅野の八王子神社のある八王子地区にあるので八王子池とも呼ばれている。
 改築の経緯
 天保十五年(1844)池底の土砂だし
 嘉永二年(1849)本揺・上鳥居改修
 文久元年(1861)池の改修
 昭和四十五年(1970)樋管部分を中心に改修。工事中に「文久紀元秋八月向井根賢敬築」と刻まれた石柱が土中から発見される。堰堤に保存
 昭和四十六年(1971)洪水吐け改修
 平成八年(1996)取水施設(樋管)の改宗。堤体の補強工事。平成十二年(2000)完成
 水利
 水源は、香東川から掛井手で取水し、現在香川町浅野地区の北端までと多肥上町地区が受益地域になっているが、余水を三谷三郎池に取水できることになっている。 
資 料:夢みらい図書館蔵:讃岐のため池誌抜粋、ダム便覧など、
撮影日:2024年9月4日
駐車場:無し
附 則:香川県内55番目の貯水量

お堂名:多肥観音堂(円成庵)
本 尊:木造六字尊立像 香川県指定有形文化財(彫刻)令和3年3月30日指定

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開 基:
創 建:
宗 派:
札 所:
住 所:香川県高松市多肥上町886−1
電 話:
由 緒
 「多肥の観音さん」として昔から親しまれてきたが、その容姿から「片足観音さん」とか、「六字観音」ともいって、土地の人々もいささか、その異様な姿に、畏敬の念をもって崇拝してきたものである。
 『翁塸夜話』には、六字明王として次のように述べている。「六字明王は観音の化身也、故に俗称多肥観音という。北條郡高屋に神谷兵庫忠資なる者あり、細川氏に属して功あり、賞として乃生、木沢の二邑を食せらる。是に於いて乃生村に移り遂に氏となす。後多肥郷を加封される即ち乃生、木沢、多肥の三邑を食む、世々六字明王を尊信して、其の像を安置し、東光坊をして奉守せしむ、曾孫乃生村孫兵衛元忠にいたりて、多肥に遷り、一城を営構して、これに居れり、然して亦、明王を奉じて之に従う東光坊をして守らしむこと故の如し・・・・ 世俗之を称して〔多肥観音〕と云う。天正中乃生村氏邑を喪うも子孫世々其墟に住む。頼景の後農となる。重兵衛、太郎左衛門これなり、」
 観音堂の創建は、文禄三午年小僧都宥仁六字法十万座修 建立と記録に見えている。文禄三年(1594)の建立は今の地でなく、高木城内に祀ったものと推測される。現在の位置に創建したのが、実は慶長十八年であるとするのが適当であろう。
 観音堂は乃生村氏の持仏であるから先住地の高屋や乃生を経て多肥に移されたことは明らかである。孫兵衛元忠の四代目重兵衛の時に城跡の地から観音堂の北側に移って、乃生村の姓を喜多氏と改め、六字明王を護持し続けた。甚六家が断絶してから後、田地一町九畝を観音田と、菩提寺行徳院に寄進した。この観音田の徳米で代々観音堂の営繕や堂の維持管理を行って、先祖の供養費に充てていた。
 観音堂の庵号「円成庵」は文禄の建立時の寺僧円成師が隠居家に当て、それを円成庵と号したことから始まっている。時代は慶長年中である。
ーー木造六字尊立像ーー
 像高=197.0㎝ 頂上より顎=36.0㎝ 髭際より顎=18.0㎝ 面幅=19.0㎝ 耳張=21.0㎝ 
 面奥=22.0㎝ 肘張=48.0㎝ 体奥=18.0㎝
 
資料等:多肥村郷土史など
駐車場:無料
撮影日:2024年5月2日

施設名:重文 小比賀家住宅主屋
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改修前の主屋
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香川県指定名勝指定
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住 所:香川県高松市御厩町331

電 話:
文化財指定:重文指定 昭和46年6月22日指定
建築年:江戸後期
改築等:昭和52年3月竣工
用途区分:主屋(中庭・勘定場・客間)=公開
残存建物:
公開状況:有料500円
休館日:第3日曜日
開館時間:10:00~16:00
沿革等:江戸時代初期に帰農した大庄屋級の民家で、千坪をこす広大な敷地をもつ。周囲にめぐらされた土塀や、午門正面の松並大の馬場など景観的にみるべきものがある。 現在の主屋は十八世紀末に改造されたものであるが、江戸初期建設の部材も残ている。
資料等:国指定文化財等データベース、小比賀家住宅修理工事報告書など、
H P:
駐車場:無料
撮影日:2024年7月21日

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