四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 高知県高知市

牧野植物園2021二月
住 所:高知県高知市五台山4200-6
電 話:088-882-2601
 高知県出身の植物学者・牧野富太郎博士の業績を顕彰するため、1958年に高知市五台山に開園しました。約6haの園内では、西南日本の植物や博士ゆかりの植物など、四季折々3000種が楽しめます。珍しい熱帯植物があるジャングルさながらの温室や、博士の業績や魅力を紹介した資料館・記念館展示も必見。園内を散築した後は、緑に囲まれたレストラン(※ カレーに付いてきたサラダが美味しかったです。勿論カレーもです。)&カフェや充実するショップもおすすめです。
【私見ですが、温室側からがお奨め。最後にカフェで休憩して帰る。】 
撮影日:2021年2月4日
前回BLOG:
2015年02月05日


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新川大師堂(春野十景)
場 所:仁淀川左岸堤防上
住 所:高知県春野町森山
刻 像:空海座像彩色
塔 型:立体石像
解説等
 堤防の改修等で何度も移転したと思われる。元は新川の周辺に有ったのかもしれません。この地は、江戸時代には仁淀川上流からの木材や薪・木炭を筏で降ろしここで舟に積みかえで繁栄していた。(新川のおとし参照)
資 料:現地お堂の貼り紙、新川のおとし説明板など、
撮影日:2016年12月20日
近隣施設:種間寺新川のおとし涼月橋


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神社名:瑞山神社
祭 神:武市瑞山(半平太)
創 建:
創 基:
社 格:
住 所:高知県高知市仁井田3021
マピオンマップ↓↓↓↓↓
マップコード↓↓↓↓↓
73 132 052*11
電 話:
由 緒

解 説:
 拝殿に当たる処に瑞山記念館(寸志)。年表・写真など展示。神社より少し上がると、武市家の墓所があり、半平太の墓と共に妻の冨に墓が並んで建っている。
 眼下には、旧邸宅が残っている。(内部は公開してない。)元藁葺(トタンで覆っている)平屋建ての典型的な郷士の住宅である。部屋数は6室、客室は8畳で柱に瑞山が文字を記刻した痕が認められる。

武市半平太
 文政十二年(1829)生まれ。号瑞山。幕末に土佐勤王党首領として活躍したが、文久三年(1863)八月の政変後、弾圧をうけて投獄され、慶応元年(1865)閏五月十一日に切腹を命ぜられた。三十七歳の生涯であった。

文化財等:旧宅と墓所は国の史跡
駐車場:無料(県道脇にある)
撮影日:2019年1月14日
資料等:Wikipedia、現地説明板など、
関連ブログ:福田寺 
近隣施設:種崎千松公園桂浜

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種崎千松公園と種崎海水浴場
都市公園
面 積:約2ha
住 所:高知市仁井田種崎
マピオンマップ↓↓↓↓
マップコード↓↓↓↓
858 278 861*14
入園料:無料
休 日:無休
電 話:
運 営:高知県
開 園:
キャンプサイト有り
文化財等:日本の白砂青松100選
H P:
駐車場:無料
資料等:高知県サイトPDFなど、
撮影日:2019年1月14日
近隣観光地:桂浜若宮八幡

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神社名:若宮八幡神社
祭 神:誉田別命・息長帯比売命・宗像三女神
創 建:文治元年(185)12月30日
創 基:
社 格:県社
住 所:高知県高知市長浜6600
マピオンマップ↓↓↓↓↓
マップコード↓↓↓↓↓
858 245 887*86
電 話:
由 緒
 鎌倉幕府開府の基礎を固めた源頼朝公は、祖父、為義公の慰霊と源氏の長久を祈り、京都六条に左女牛若宮を創建し、土佐国吾川郡一円を同社の神領地として寄進した。その神領鎮護の神として、石清水八幡宮の御分霊を御勧請したのが当社である。(以上「吾妻鏡」より)
 鎌倉、室町の時代を通じ、特に武家崇拝の神社として栄え、ことに戦国時代の永禄三年(1560)五月、長宗我部元親公は初陣に臨み、当社の馬場先の松原(現鎮守の森公園)に陣を張り、一夜戦勝を祈願し、長浜城を攻め落とす。以来、当社を戦勝祈願の第一社と定め、社殿を出蜻蛉式建築と改める。これに対し、一宮(一区)の土佐神社を凱旋報賽社とし、入蜻蛉式に改めたことから、両社は対をなす土佐独特の神社建築となっている。
 慶長五年(1600)山内一豊公が新しく土佐の国守に封ぜられ、当初、浦戸城に、その後大高坂城に移住されてからも崇敬の念篤く、祈願八社の中の一社として、年々の祭典を厳修され幕末を迎えた。
 維新後、明治六年(1873)には郷社に、昭和五年には県社に列せられる。戦後は宗教法人として長浜・御畳瀬・浦戸・瀬戸・横浜・横浜新町の総鎮守として、更に厄除開運の神、安産の神、海上安全の神、戦勝祈願の神、雨の神として広い信仰を集め、今日に至っている。
 なお、昭和六十年(1985)十一月には、御鎮座八百年祭が盛大に斎行され、記念事業として社務所の改修や境内の整備が行われた。
札所等:
解 説:
H P:
文化財等:
駐車場:無料
撮影日:2019年1月14日
資料等:Wikipedia、現地説明板など、
近隣施設:桂浜

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鳥居のいわれ
 長宗我部元親公は、当社を出陣の祈願と定む、天正十四年秋、豊臣秀吉軍の先鋒隊として九州征伐に赴く際社頭に武運長久を祈りいざ出陣という折りも折り軍旗が鳥居の笠木にかかり墜落す。衆人はこれを不吉となし出陣を見合わす形勢となるも、公は殊更に「敵を笠にかけて討つの前兆である」と祝して出陣す。
 果せるかな豊後戸次川にて島津軍と戦うも惨敗し嫡子信親公以下、七百余人の将兵は異郷に討死にす。帰郷後、元親公はこの鳥居を不詳の鳥居とし海上遥かに流しやる。爾来二百八十余年間、鳥居のない社として有名なるも、慶応元年、地震の際、鳥居の根石の自然に浮き出しことから衆人これを神意となし、再建す。時に、明治三年三月のことなり、更にその後昭和十一年一月に建て替え、昭和五十五年十月には従来の木の鳥居から鉄筋コンクリートに変わり今に至る。

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