四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 徳島県海陽町

寺 名:吉祥山・法華寺
本 尊:日蓮聖人御自作一木三躰霊像
開 基:
創 建:
宗 派:日蓮宗
札 所:
住 所:徳島県海部郡海陽町鞆浦字東町112

電 話:0884-73-0253
解説等:山に抱かれた法華寺に連なう沿道に左右に広がる漁村の町並み
資料等:WEBより
駐車場:無し
関連記事 鞆奥(ともおく)漁港
撮影日:2018年8月17日
近隣施設:宍喰浦の化石漣痕大里松原海岸宍喰八坂神社

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参詣道
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左右に広がる路地
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寺 名:一乗山・惣持院・大日寺
本 尊:大日如来
開 基:
創 建:
宗 派:高野山真言
札 所:
住 所:徳島県海部郡海陽町宍喰浦字宍喰423
マピオンマップ↓↓↓↓
https://www.mapion.co.jp/m2/33.566036249931955,134.30455146350525,19
マップコード↓↓↓↓
427 216 476*25
電 話:0884-76-2155
由 緒
 明治時代以前は、円頓寺(阿波駅路寺八ヶ寺)、真福寺と大日寺の三寺が寺町の北部に広大な境内を有し、各寺の伽藍がその壮大さを誇っていたが、円頓寺、真福寺の疲弊にともない、大正元年(1912)大日寺に合併して現在におよんでいる。
 大日寺は、真言宗金剛峯寺末で、方丈には本尊、大日如来(胎蔵界大日如来とよぶ)、毘沙門天、不動明王、薬師如来、弘法大師など安置している。
 薬師堂は、旧真福寺を移したもので、本尊大日如来(金剛界)および庚申は、もと円頓寺に祀ってあったもので、薬師像は、真福寺に祀ってあったものである。もと、祇園宮の秘仏本尊として、明治初期神仏分離の時まで、祇園宮に祀ってあったが、その後、神殿とともに真福寺に移転し祀ったものである。
 祇園とは、お寺の事で、釈迦が初輪廻をした寺を祇園精舎という。故に本殿は祇園牛頭天王を本尊として、薬師仏は牛頭天王の本地仏である。
 当時は、室町時代の末葉、宍喰南北両城の菩提寺であった大乗山惣感寺(禅宗)で愛宕山の東下にあった。現在の土地に移ったのは、天正三年(1574)と大日寺記に記されている。
 なお、翌天正三年(1575)に長宗我部元親の侵入により、大いに荒廃を来していた。蜂須賀氏入国後、蜂須賀蓬庵公より寺号を改め、一乗山惣持院大日寺と命名されて再建した。もと、禅宗であった寺を真言宗に改宗したのもこの時であった。
資料等:海部町誌など、
駐車場:
関連記事:徳島藩駅路寺制に関する一考察PDF(徳島大学) 
撮影日:2018年8月17日
近隣施設:宍喰浦の化石漣痕大里松原海岸徳島県

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名 称:大里松原海岸
住 所:徳島県海部郡海陽町
マピオンマップ↓↓↓↓
マップコード:
427 374 250*48
景観指定:日本の白砂青松100選、室戸阿南海岸国定公園、潮害防備保安林、保健保安林
指定日:
解 説
 太平洋に面する幅 70m~100m、長さ 4km、面積 26ha、の弓状に広がる海岸。松の樹齢は5~300年。アカウミガメの産卵地としても知られています。
 海岸は小石で砂は見当たらないし、ゴミも漂着してない。毎日掃除をしているのかな。美しい河岸でした。
資料等:海陽町観光町会HP、日本緑化センターPDF、
駐車場:無料
撮影日:2019年3月1日
周辺施設:宍喰浦の化石漣痕、  

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同じ方向に曲がっている
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神社名:宍喰八坂神社
祭 神:須佐之男命
創 建:
創 基:
社 格:
住 所:徳島県海部郡海陽町久保
マピオンマップ↓↓↓↓↓
マップコード↓↓↓↓↓
427 216 822*16
電 話:
由 緒
札所等:
解 説
 幣殿・本殿の彫刻が凄すぎる。拝殿は現代風に改築されている。
H P:
文化財等:穴喰祇園祭り  国の無形民俗文化財=1999年12月03日 保護団体名:八坂神社祇園祭振興会
駐車場:無料
撮影日:2019年3月1日
資料等:WEBなど、
近隣施設:カモメ橋

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名 称:宍喰浦の化石漣痕
住 所:徳島県海部郡海陽町宍喰浦
場 所:マピオンマップ↓↓↓↓
マップコード↓↓↓↓
427 187 769*50
見どころ
 第3紀始新世から漸新世に生成された舌状漣痕で、露頭面積も広く、彫刻も深く、かつ数種の異型のものが別々の層をなしている。細互層の砂岩下面には、当時の生物の生態痕などの底痕が残されている。
 流れ漣痕としてその規模、保存状況などわが国でも代表的なものであり学術上の価値は高いと認められる。
文化財:天然記念物
指定日:昭和54年11月26日(1979)
資料等:文化庁データベース、現地説明板など、
撮影日:2019年3月1日
駐車場:無し(路駐)
周辺施設:
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「宍喰浦の化石漣痕」は、約4500万年前、新世代第三紀の始新世中期に生成にされた水流漣󠄁痕で、露頭面積も広く、彫刻も深く、かつ数種の異型のものが別々の層をなしている。地層は四万十帯、室戸半島層群の奈半利川層に属し、泥岩と互層する細粒砂岩層に上面には、水流漣󠄁痕を見ることができます。代表的なものは、波長数10cmの舌状漣痕です。水流漣痕は、断面の形態が非対称で、一定方向の流れによって形成され、当時の水流が海溝軸に沿って、東北東から西南西に向かっていたことが伺われます。下面には底生生物に生痕化石が見られ、日本海溝の水深4000mを超える陸側斜面で見られる生物の這い跡に比類されmす。当時の海溝に至る陸側斜面深部の海底の様子を物語るものです。地層面は東西に延び、北側に高角度で傾いており、海洋プレートの大陸下への沈み込み伴い、大陸側に傾きながら押し上げられた付加運動によるもんです。
【現地日本語説明板より転載しました】
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