四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 四国の史跡・遺跡

古墳名:横地山古墳箱式石棺
700-10

700-20

700-30

700-40

700-50

場 所:三島公園(見学自由)
住 所:愛媛県四国中央市中曽根町
表示さている所より南方のクレーターのように写っているところ。
形 式:
規 模:墳丘には、直径7.5m、高さ1mの封土
石 室:
羨 道:
築造期:弥生時代後期
史跡指定:四国中央市指定史跡 昭和三十七年四月一日
解 説:封土の周りには河原石を並べて周縁部を形成していた。この封土の中に二基の箱式石棺が並列して構築されていた。
 東側の一号石棺は、長さ1.6m、幅0.42m、深さ0.24mで、一部破壊されていた。
 西側の二号石棺は、長さ2.0m、幅0.50m、深さ0.35mで、頭を南に仰臥伸展葬された人骨が出土し、鳥取大学小片保教授の研究により壮年男子と推定された。頭部及び石棺内部には酸化鉄の朱色が塗られていた。弥生時代後期の墳墓と推定されている。
資料等:現地説明版、
撮影日:2022年3月9日
駐車場:三島公園駐車場(無料)
関連BLOG:三島公園

古墳名:船岡山古墳

舟岡池堰堤石碑より右に入る
700-10

石切り場のようなところを左に見ながら進む
700-20

向井家の墓の前を進む
700-30

この杣道に入る。後は道なりに
700-40

700-50

700-60

700-70

700-80

700-90

700-95

700-100

700-110

700-120

700-130

場 所:舟岡山山頂
住 所:香川県高松市香川町浅野

形 式:前方後円墳積石盛土竪穴式
規 模:
石 室:
羨 道:
築造期:古墳時代前期
史跡指定:
解 説
 船岡山の山頂に古墳が有ることがわかっていました。
 平成二十年に古墳の発掘調査が高松教育委員会と徳島文理大学により行われました。その結果、全長44メートルの高松平野南西部では最大の前方後円墳と、形は不明なもう一基の二つの古墳が有ること、そして、前方後円墳は形態や出土品から三世紀代(古墳時代前期前半)に築造されたもので、もう一基もほぼ同時期に造られた可能性が高いことが明らかになった。また積石と盛土を併用した特異な墳丘の構造となっており、四国地域最古の得意な円筒形の埴輪も出土している。
資料等:現地説明版
撮影日:2022年2月14日
駐車場:無
参考資料 
https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/kosodate/bunka/bunkazai/iseki.files/16962_L39_hunaokayamakohunn20090926.pdf
関連BLOG:舟岡池

宇摩向山古墳1号墳
700-10

700-20

700-30

700-40

700-50

700-60

700-70

700-80

700-90

700-100

700-110

700-120

700-130

700-140



所在地:愛媛県四国中央市金生町下分乙18−2

築造期:古墳時代終末期(7世紀前半)
特 徴:墳形:長方形墳 墳丘規模:東西70m(復元)×南北46m 石室規模:全長10.8m 玄室:高さ3.9m 幅2.5m 高さ2.6m
資料等:現地説明板、Wikipediaなど、
文化財:平成二十三年(2011)9月21日国の史跡指定
解説等:四国中央市川之江の金生川の東岸の丘陵先端部に築造された大型長方形墳である。開口部は南側で玄室内は側壁の石は鏡石より大きい。結晶片岩の巨石が使用されているようで、何処から運ばれてきたのでしょうか。トラックや重機もない時代なのに。
 尚、柵が設けられていているが、立ち入り禁止の表示もない。
駐車場:無料
撮影日:2021年10月18日

山家公頼の墓(和霊廟)
所在地:愛媛県宇和島市宇和津町一丁目
史跡指定:宇和島市指定史跡=昭和38年(1963)2月11日指定
解説等
 宇和島藩伊達秀宗が、宇和郡10万石に封じられ、宇和島(当時板島)に入ったのは元和元年(1615)のことであった。秀宗の父伊達政宗は、家臣の中より力量手腕の秀でた山家清兵衛公頼を総奉行として藩政を委託した。公頼は藩の財政の立て直し、民力の涵養に努めること五年間、大いにその治績を挙げたのであった。
 しかし、元和五年(1619)幕府の命による大坂城石垣修理工事問題等を契機として、公頼排祖の空気が高まり、元和六年(1620)六月30日の夜、秀宗の意をうけた武士たちが公頼の邸を襲い、公頼をはじめ、十九歳になる二男治部、十四歳の三男丹治は刃に倒れ、九歳になる四男の美濃は井戸に投げ込まれ、命を落としたと伝えられている。山家邸は今の丸之内和霊神社の地となる。
 公頼に日頃から好意を寄せていた人達によって、遺骸は密かに金剛山西の谷に葬られた。後に秀宗も冤罪であったことを認め、領内の庶民も公頼の高徳を慕い、香華の煙が絶えなかったという。現在、おたまや様(和霊廟)として、毎年七月二十九日の祭日には、多くの参拝人で賑わっている。
資料等:現地説明板など、
駐車場:無料(大隆寺駐車場)
マピオンマップ:↓↓↓↓
https://www.mapion.co.jp/m2/33.21470020952477,132.5753420406808,19
マップコード↓↓↓↓
176 159 310*38
撮影日:2019年7月10日
近隣施設:大隆寺、和霊神社、宇和津彦神社  

561

562

563

564


565

565-2


565-3


566







古墳名:小蓮(こはす)古墳
住 所:高知県南国市岡豊町小蓮
場 所:マピオンマップ↓↓↓↓
マップコード↓↓↓↓↓
73 344 468*87
形 式:楕円形(築造当初の墳形は不明)
規 模:長径(南北)28m 短径(東西)22m 高さ7.13m
石 室:両袖式横穴式
羨 道:玄室・羨道を含めた石室全長は10.8m
築造期:6世紀後半
史跡指定:高知県指定文化財(史跡)=昭和28年(1953)1月29日指定
解 説
 玄室には床面に割石が敷き詰められている。
 石室内から須恵器・金銅製中空玉・金環・鉄刀子・鉄鏃・馬具・ヤリガンナなどが出土している。副葬品から判断して、有力な古代豪族の墳基とみてよい。
資料等:Wikipedia、現地説明板など、 
撮影日:2019年1月14日
アクセス:高知県道384号を高知方面岡豊山バス停(標識は車道側には見えないが、右側のは車道側よりも岡豊山と書いている)岡豊病院方面へ右側に小さな標示板がある。
駐車場:無し(道も狭い)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

↑このページのトップヘ