四国観光スポットblog

四国の観光スポットの足跡を写真で紹介するブログ

カテゴリ: 四国の堰堤ダム池

仁池(飯山)

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取水口
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余水吐け
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大正以前の樋管
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管理者:綾歌郡仁池土地改良区
河川名:大束川水系
住 所:香川県丸亀市飯山町上法軍寺

施 工:1648年/1649年
改 築:
堰堤長:328.0m
堰堤高:16.0m
貯水量:1502千立方m
目 的:「A」灌漑、受益面積:28.0ヘクタール
形 式:アース
解説等
 『法勲寺村史』では、綾歌町栗熊、片岡家の「仁池由緒記」から、
 抑、仁池建築歳頃先慶安元亥年六月二十八日より始めて翌二年三月二十五日まで成就と云う。且つ掛諸役人百姓惣代印名書之義は別冊帳面に委細在之者也。
 堤 根置 四八件 但 □長五十二間
 堤 東西七十間 同満水の時 水溜り波打まで畝数三十六兆余といへり
 右普請まで人足六万八千三百九十八人云う者なり。
 ・・・・世の中の事は寸善尺魔とや、ここに矢延平六といえども予期しなかった大難に逢うことになった。その仔細は、ある時佞人(ねいじん=口先巧みにへつらう、心のよこしまな人)がいて矢延氏を讒し(よこし=事実をまげて人の悪口を言うこと)上聞に達した。このため、上役から「この度其の方の労により仁池を建設したというが、一体何程の用水がある」と尋ねられた。平六が「五月中旬から百日ばかりの用水がある」と答えると、「稲というものは植え付けから七十五日もすれば穂も十分に熟し刈り取りもできる。それを必要以上に溜め、藩はもとより下百姓に至るまで無用の費用をつかわせ、まことに不都合千万のことである」として、おとがめを蒙り、その上牢人を仰せつけられた。
 平六は残念に思い、自分は今日まで主君のために人民を補助し、いささか功績もあったと自負してきた。しかるに恩賞にあずかってもしかるべき所を、却っておとがめを蒙りまことに心外である。しかし、これも世のありようでしばらく閑居して然るべしと思い、阿波守様ご家中の柏曲求馬(柏回求馬、柏木求馬の書あり)という者を頼り阿波国へ逗留した。その逗留中、つれづれの四方山ばなしの末、我が身の不幸せの次第を物語るうち、元馬はいかにも理不尽な話であると驚き、家老の蜂須賀駿河殿に申し上げたところ、左様な大慮ある者をこのまま放置することはできないとし、更に阿波藩主の上聞に達し、藩主も同様に思い召されて、高松藩主にお取り成しがあり、間もなくお嘆び返しになった。御役仰付けられ、なお扶持も増加になったと、記されている。
 その後は、享保のゆる替え。大正の樋管替えなどをへて昭和四十年の改修工事などを経て現在いたる。、
資 料:現地記念碑、讃岐のため池誌資料編など、

撮影日:2022年5月13日
駐車場:無し
附 則:アース式堰堤での貯水量が4番目の大きさの池。1位満濃池、2位公渕池、3位三郎池
関連BLOG:飛渡神社矢延平六

道池(太田池)
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管理者:高松市太田土地改良区・道池水利組合
河川名:詰田川水系御坊川支流古川
住 所:香川県高松市太田上町

改 築:着工昭和五十六年十一月 竣工平成元年三月(堤体・前付け延長・樋管・余水吐け)
堰堤長:515.0m
堰堤高:5.0m
貯水量:51千立方m
目 的:「A」灌漑、受益面積:25.0ヘクタール
形 式:アース
解説等
 太田道池の起源については定かでないが、この地区が過去に幾度となく旱魃の被害を蒙っていたため郷土の先人が灌漑用ため池として築造し以来営々として管理されてきた。
 しかしながら近年は老朽化が著しく漏水決壊の恐れさえ出てきたことから改修について道池関係者が協議を重ねたが容易に実現しなかった。
 たまたまこの地区に公民館建設の話が持ち上がり、その用地として道池東南部の一部埋め立てによって用地造成してはとの意見が出た。水利関係者も地域住民が広く利用する公共施設であるとの理解をし協力することになった。
 埋め立てによって減少する貯水量はため池の抜本的な改修で補完。後世に悔いを残さない方法をとった。
 池の南がわで大正の頃、消防組・在郷軍人会・青年団主催の競馬が行われていたようだ。(碑が建っている)
資 料:現地記念碑など、
撮影日:2022年4月19日
駐車場:無し
旧高松市内48位の貯水量ダム池。1位椛川ダム、2位内場ダム、3位三郎池

舟岡池
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西側堰堤
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舟岡山
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洪水吐け 平池・前池に続く
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管理者:舟岡池土地改良区
河川名:新川水系春日川支流古川
住 所:香川県高松市香川町

堰堤長:956.0m
堰堤高:7.2m
貯水量:352.2千立方m
目 的:「A」灌漑、灌漑面積:44.1ヘクタール(旧寺井村(現高松市寺井町)、百相村(現高松市仏生山町)神宮寺、)
形 式:アース
解説等
 舟岡池は江戸時代中期の新田の進展に伴いその満水を確保する目的で築造されたもである。工事の完成は寛文十三年(1673)といわれている。
 此の地は太古の昔香東川の河床であり豊富な地下水が舟岡山で堰き止められ多量の湧水がみられるため、蓄える他旧川東村(現高松市香川町川東)高須付近の香東川柳生井堰より延々三粁に及ぶ水路を開削、隣接の平池と共〇○○満水させることとしていた。築造当時の水掛りは、旧寺井村(現高松市寺井町)、百相村(現高松市仏生山町)神宮寺、一宮村(現高松市一宮町)、三名村(現高松市三名町)及び鹿角村(現高松市鹿角町)の五ヶ村に跨る広大な水田に対し行寺池、辻堂池と共に用水を供給していたが新田の増加に伴ない年々用水不足が甚だしくなり干魃をうけること年々再々であり水争いが絶えず大正十一年には収穫皆無に近い大旱魃に見舞われ上下流対立して前例をみない水利紛争が発生、遂に水下である一宮、三名、鹿角村の各地区が水利権を放棄して現在の水掛かりとなった。
 其の後昭和二十八年の内場池と昭和四十九年の香川用水の完成により往古の旱魃の面影ををみることなくなった。舟岡池は周囲が殆ど堤防に囲まれた野池であり、堤防の全長は千百二十米に及び先人はこの管理に辛酸をなめ営々と努力を積み重ね今日に至ったもので近年では昭和四十二年から四十四年にわたって決壊の恐れある西堤防四百三十米、東堤防九十一米を国の補助による老朽ため池整備事業として総事業費二千二百九十万円を投じて改修工事を完成した。
 又、昭和四十年には池の南部0.75ヘクタールを埋め立て二二戸の住宅団地用地として提供した。此度高松市南部及び香川郡一帯の地域の開発発展と新高松空港への交通幹線の整備をはかるための国道193号線バイパス建設用地として提供の要請に接し全組合員が度重なる協議
を行った結果公共施設の重要性に鑑み全面的に協力することに決し、其用地として0.38ヘクタールの池敷を提供することになり、西堤防を東方へ最大三十二米移設改築したものである。
 昭和六十二年には東堤防の改修工事。
 平成二十八年舟岡山法面が未整備となっていた為法面崩壊による貯水量減や管理道の幅員減少が発生していた。舟岡山所有者より五百五十二平方メートルの土地提供を受け、法面及び管理道の改修工事が完成。
資 料:現地石碑、讃岐のため池誌 平成十二年三月三十一日発行、
撮影日:2022年1月26日
駐車場:無し
香川県内62位の貯水量ダム池。1位満濃池、2位椛川ダム、3位内場ダム、
関連BLOG:平池前池

音谷池
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洪水吐け
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大坪川
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取水口
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管理者:香南町土地改良区
河川名:本津川水系大坪川
住 所:香川県高松市香南町由佐

施 工:
改 築:
堰堤長:210.0m
堰堤高:12.7m
貯水量:383千立方m
目 的:「A」灌漑、灌漑面積:60.0ヘクタール(香南町由佐・池内・西庄・綾川町畑田)
形 式:アース
解説等
 香南町南部の丘陵地帯は、昔から水には随分苦労をしてきた地域であり、降雨が少ない年には、池の満水も難しく、勿論田畑も30%という年も屡々であった。
 音谷池は、古くは合子池と呼ぶ小池で、灌漑面積も五ヘクタール位であった。。碑文によれば、寛永、正保(1624~47)のころ、旧池内村内、数戸の溜池掛かり及び新開田を加えて37.2ヘクタール、内宅地2.6ヘクタール(宅地に水ブニは不思議に思われるが、水に困った地域であるため、宅地まで水費を負担して水ブニ=水利権を確保した)を水掛かり地区にして、この池を増築して音谷池と改称した。ここにおいて古掛かりという特権地区が誕生したものとおもわれる。水はいつでもサンザイ(自由に)使い、池の諸費用はいっさい負担なしという特権階級であり、元の合子池掛かりを指している。
 この池が現在の規模となったのは、明治三十二年~三十三年(1900)の増築工事によるものである。当時、池西村(現高松市香南町池西)の豪農妹尾彦六は年々の日照りによる惨状を見かねて村内地主を説得、明治三十二年八月、工費一万二二四〇円をもって翌年二月増築工事を完了した。堤高4.5mを嵩上げ、堤長210m、堤高13m、池面積は二倍、貯水量三十八女三千余トンという立派な入れ物を完成したのである。しかし、天水頼りで集水地域の狭小な地形では満水を期待することも少なく、たまたま満水すれば二年間は配水に心配がないとまでいわれてきた。
 当時、丸岡徳平、池内芳三郎両氏は、高台地域の雨水確保のため、東南の山腹に他の池と組み合わせ、音谷池より安原村(現高松市塩江町安原)まで新水路を開設することを計画した。その一期工事としてまず大字岡(現高松市香南町岡)の稚池より音谷池に至るまで各池間の取水契約要旨を定め、明治三十二年一月着工、同三十四年一月、新水路金取引簿が『丸岡家文書』に記されていることを思えば、同三十三年末工事が完了したものと推測される。
 この新水路各池契約要旨の石碑は、当時高根山入口新水路分水地点の南側山麓にあったが、現在は文田池堤防に移設されている。石碑には、取水順序と分水量及び負担割等が詳しく記されている。
 音谷池・夫婦池は最終の取水順位におかれ、負担は三分三厘(33%)と定められている。しかし、降雨が大量にない限り、依然として水不足は解消されなかった。ところが皮肉にも、大正七年(1916)九月、台風の豪雨によって同月十四日、堤防の決壊という大惨事が起こった。濁流は十戸の農家を押し流し、谷筋の水田20ヘクタールを吞み込んだ。
 音谷池を水源とする農家は途方にくれたのである。先の嵩上げ工事を推進した妹尾彦六は、当時の池西村長として再び復旧の先頭に立ち、他の地主と共に「音谷池耕地整理組合」を設立、自ら組合長となって、大正七年十二月早くも復旧工事に着手、県の指導援助と関係者一丸となって、寝食を忘れ努力の甲斐あって、遂に大正九年五月、五万八千七百五十四円をもって完成することが出来た。(当時米一俵二十円、八年の米騒動が起こったために米価も一段と高くなっている)こうして音谷池は元の姿に復帰した。
 新水路の経費負担をしながらも、降雨に恵まれない限り干害からの脱出は夢でしかなかった。常習旱魃地帯の悪名を返上できたのは、寛永初期より多くの先輩が提唱し、永年の悲願であった内場池が昭和二十八年(1953)三月完成。引き続き施工された池西幹線水路の新設によってである。昭和三十三年、遂に綾南町(現綾川町)畑田に至る一万一千七十余メートルが完了した。
 音谷池は幹線上流部にあるため、昭和三十二年より願望久しかった内場池及び香東川の水が貯水できるようになった。長年の夢が現実のものとなり、干禍の憂いは遠くに失せて、年々の満水に豊穣の秋を関係者の犇々と窺われるようになった。
 昭和三十六年(1961)十一月、第一期工事として堤体前付け及び樋管取り換え工事着手。同三十八年三月完了。
 各圃地にはパイプライン化によって給水されているようです。用水路が見つかりません。
資 料:讃岐のため池誌 平成十二年三月三十一日発行、

撮影日:2022年1月26日
駐車場:無し
香川県内52位の貯水量ダム池。≪1位満濃池、2位椛川ダム、3位内場ダム、≫

男井間池

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洪水吐け
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余水水路
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中道
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南堤
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前田山
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管理者:男井間池土地改良区
河川名:新川
住 所:香川県木田郡三木町

施 工:
改 築
堰堤長:本堤290.0 m
堰堤高:9.7m
貯水量:850千立方m
目 的:「A」灌漑、
形 式:アース
解説等
 伝えによれば、この池の南にあった「出水池」が洪水によって堤防が切れたので、地域の住民が生駒藩へ願い出た。寛永四年(1627)藩命により西島八兵衛が来て、彼の指導により山大寺池が築造された。
 男井間池は、三木郡(現木田郡)の中でも有数の大池に数えられるが、この池は、古くは鴨部川から白山の下をまわり、平木を経て水を引き、これに長い掛け井出が設けられていたので、水の溜まりが悪く池を満水させることが出来ないという悪い条件がたくさんあった。これを改良したのが、井上村川西の   「溝口恒八」である。彼は、新川の水を引き入れることを工夫し、この計画を水掛かり七ヵ村の庄屋に相談した。庄屋たちも彼の構想に賛成し、藩庁へ願い出た。高松藩からは普請奉行が派遣され、工事は地元のたくさんの百姓が工事人夫として働いた。工事は天明五年(1785)の三月から始めて十一月に完成した。
 町内の各池も、このような手順で藩の許可を得、藩から工事役人が出てきて、地元の百姓の労力によって造られたものが多い。
 昭和五十三年十一月着工~昭和五十七年三月竣工 堤体・樋管・余水吐け水路改修工事
資 料:現地説明版・石碑など、
撮影日:2021年9月19日
駐車場:無し
香川県内20位の貯水量ダム池。1位満濃池、2位椛川ダム、3位内場ダム、

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