加羅土(唐渡)トンネル
起点側
終点側
軌道跡
所在地:香川県高松市香川町川東
34.246452510012475, 134.03245426151375
築造期:昭和4年
構 造:コンクリートトンネル
長 さ:61.15m
解 説
最も起点側に位置するトンネルである。現在は閉鎖されており通行はできない。
断面形状からみて鉄道省が大正五年四月に設定した甲型に準拠している可能性がある。坑門はコンクリート製で上端に笠石層(コンクリート製)が造られる以外は装飾的な要素は認められない。
内部は、中央部付近が側壁・アーチ部ともにコンクリート打ちであるが、出入り口付近は、アーチ部が煉瓦積みによる覆工である。起点側(仏生山側)の覆工は小口が2個連続する変則的なフランス積み風、終点側(塩江側)の覆工はイギリス積みであり、覆工の煉瓦積みとしては極めて異例である。(一般的には長手積み)
尚、トンネルは起点側からみて東側に緩くカーブしており、カーブの外側(西側)に退避所が1箇所設けられている。
【旧塩江温泉鉄道土木遺産群】
塩江温泉鉄道は、塩江温泉と高松を結ぶ目的で昭和四年(1929)十一月十二日に開業した軽便鉄道である。設立時の筆頭株主は琴平電鉄社長の大西虎之介であり、当初から琴平電鉄の支線的な性格をもつ路線であった。軌道幅も軽便鉄道としては珍しく、琴平電鉄と同じ標準軌(1.435m)であったが、電化されることなくガソリンカーが投入された。この頃、塩江では旧温泉街に加えて新塩江温泉が開発されており、伝統的な湯治場からの脱皮が試みられていた。塩江温泉鉄道は、温泉地再開発の一環として敷設されたのである。
しかし折からの不況のため経営不振となり、昭和十三年五月一日には琴平電鉄に合併された。合併直後の同年九月四日には、台風により関駅北側の第一香東川橋梁が倒壊し、ようやく復旧したものの、戦時体制下でガソリンの使用規制により厳しい運行条件となった。このため、昭和十五年十一月二十日には鉄道省に運輸営業廃止申請を行い、翌年四月十九日に認可され、六月二十一日に廃止された。使用されていたレールは撤去され台湾へ、ガソリンカーは満州・新京へと渡り市電に改良された。
現在では、路線跡地は道路となっており、高松市仏生山から香川町にかけては「ガソリン道」の愛称で地元に親しまれている。また塩江町内ではサイクリングロードとして使用されており、トンネル二箇所と橋梁二箇所は現役であつようされたいる。
文化財:日本の近代土木遺産
資料等:香川県立図書館蔵:香川県の産業土木遺産
撮影日:2024年5月11日
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