藤谷隆太郎胸像
業 績:農業振興及び農業団体活動
出身地:北山崎村(現伊予市)
住 所:愛媛県伊予市稲荷1231
場 所:伊予稲荷神社
解 説:
北山崎村稲荷に藤谷喜之寿計の二男として生まれた。大正七年松山農業学校を卒業後同校助手、更に喜多郡出海村で農会及び養蚕組合技術員として数年間勤めた後、大正10年(1921)帰郷して北山崎村農会技術員・同村青年団長、更に同村青年指導員として青年教育の指導に当たった。
大正14年(1925)10月、伊予郡農会技手並びに伊予郡連合青年団長となり、農会の振興及び青年団の育成と教育を行った、昭和15年11月、大政翼賛会愛媛県支部組織部長、実践部長となり、同17年に大政翼賛会愛媛県本部長、更に翌18年には食糧増産隊愛媛県隊長に就任した。
戦後は愛媛県農業協同組合中央会会長など農業団体の要職を歴任した。氏は頭脳明晰、豪放闊達、名利に淡白で熱情と実践力に富み、その一生を県下各地の青壮年の指導と農業振興及び農業団体活動の推進にささげた。
資 料:愛媛県生涯学習センター・データベース、
撮影日:2020年10月21日
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