寺 名:法然寺:総門(柵門)~十王堂
住 所:香川県高松市仏生山町
解説等
由 緒
法然寺Wikipedia
霊 場:法然上人二十五霊場第二番札所 さぬき七福神の大黒天
資料等:仏生山来迎院法然寺設置の説明板、
駐車場:無し(仁王門前駐車場へ=無料)
前回BLOG 2019年1月
関連BLOG:西念寺、西光寺、慧日山・正宗寺、
撮影日:2020年3月23日
近隣施設:平池、仏生山公園、仏生山公園:ツツジ
総門(柵門)
総門は、法然寺の表門で、ここから法然寺の境内がはじまります。法然寺が建てられた当初の様子を描いている絵図には、「柵門」と記されています。
絵図によると、かつては、門の南側に番所と接待屋が設けられていました。接待屋は、藩主の葬儀が行われる際に、家臣に付き従って来た又者(家臣の家臣)が待機する場所でもありました。門から少し離れたところに「下馬札」があり、馬に乗って来た者に下りることをうながし、特別な場所であることを示していました。門の北側には、石垣を築いた上に柵と築地塀が設けられ、境内と外を区切っていました。
総門のほか、境内への入り口として、庫裡の裏手にあたる北側に設けられた裏門、平池の北側に設けられた南門などがありました。
十王堂
十王堂いは、亡くなった人が生前に犯した罪を裁く閻魔王など十人の王が安置されています。
仏教では、亡くなってから七日ごとに、各王の前で裁きを受けると説いています。それぞれの担当は下記の通りです。
初七日=秦広王 二七日(十四日目)=初江王 三七日(二十一日目)=宋帝王 四七日(二十八日目)=五官王 五七日(三十五日目)=閻魔王 六七日(四十二日目)=変成王 七七日(四十九日目)=泰山王
裁きが決定する四十九日目を満中陰といい、死出の旅が終わり、忌明となります。その後、百ヶ日(百日目)に平等王、一周忌(一年後)に都市王、三回忌(二年後)に五道天輪王によって追加の裁判が行われます。各裁判の日にあわせ、罪を軽くすることを願って、仏事供養が行われます。
堂内には、ほかに三途の川のほとりで亡くなった人から衣服をはぎとる奪衣婆の木像も納められています。
住 所:香川県高松市仏生山町
解説等
由 緒
法然寺Wikipedia
霊 場:法然上人二十五霊場第二番札所 さぬき七福神の大黒天
資料等:仏生山来迎院法然寺設置の説明板、
駐車場:無し(仁王門前駐車場へ=無料)
前回BLOG 2019年1月
関連BLOG:西念寺、西光寺、慧日山・正宗寺、
撮影日:2020年3月23日
近隣施設:平池、仏生山公園、仏生山公園:ツツジ
総門(柵門)
総門は、法然寺の表門で、ここから法然寺の境内がはじまります。法然寺が建てられた当初の様子を描いている絵図には、「柵門」と記されています。
絵図によると、かつては、門の南側に番所と接待屋が設けられていました。接待屋は、藩主の葬儀が行われる際に、家臣に付き従って来た又者(家臣の家臣)が待機する場所でもありました。門から少し離れたところに「下馬札」があり、馬に乗って来た者に下りることをうながし、特別な場所であることを示していました。門の北側には、石垣を築いた上に柵と築地塀が設けられ、境内と外を区切っていました。
総門のほか、境内への入り口として、庫裡の裏手にあたる北側に設けられた裏門、平池の北側に設けられた南門などがありました。
十王堂
十王堂いは、亡くなった人が生前に犯した罪を裁く閻魔王など十人の王が安置されています。
仏教では、亡くなってから七日ごとに、各王の前で裁きを受けると説いています。それぞれの担当は下記の通りです。
初七日=秦広王 二七日(十四日目)=初江王 三七日(二十一日目)=宋帝王 四七日(二十八日目)=五官王 五七日(三十五日目)=閻魔王 六七日(四十二日目)=変成王 七七日(四十九日目)=泰山王
裁きが決定する四十九日目を満中陰といい、死出の旅が終わり、忌明となります。その後、百ヶ日(百日目)に平等王、一周忌(一年後)に都市王、三回忌(二年後)に五道天輪王によって追加の裁判が行われます。各裁判の日にあわせ、罪を軽くすることを願って、仏事供養が行われます。
堂内には、ほかに三途の川のほとりで亡くなった人から衣服をはぎとる奪衣婆の木像も納められています。
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