本津川の常夜燈
街道:丸亀街道
住所:香川県高松市飯田町
場所:本津川右岸(県道175号衣掛郷東線)
由緒等
 天正十六年(1588)生駒親正は、高松に築城し、慶長二年(1597)丸亀に支城を設け、高松の常盤橋を起点に五街道をつくった。
 その一つが丸亀街道で、兵庫町・郷東を通り中津の道標(右ー金毘羅道・左ー一の宮道)を左手に一里塚・一本松・三軒家を通り抜け、鬼無・丸亀に通ずる。この道は、旧国道でもある。
 この街道を通り、金毘羅宮への参拝客が江戸中期から特に多くなった。信仰・娯楽・商業での往来が絶えず、讃岐の道はすべて金毘羅に通ずるといわれた。中津・大暮に、金毘羅灯籠が建立(寛政九年=1797)されたのも、このころである。
 街道のところどころに、旅人に涼しい影を与える松並木があった。香東川の堤防から本津川の川岸にかけて、大人のふた抱えもある松、数十本が太平洋戦争末期まであった。
 また、本津川の川岸は、一面竹林が生い茂り、今も、「竹林」という地名が残っている。
 
種 類:常夜燈 【香川県の川の両岸には、石灯籠・地蔵が多く残っている。夜川を渡る時の灯台の役目であった。地蔵は、旅の途中での病気や不測の事故で亡くなった人たちを地元の人々が慰霊のために祀ったのでしょうか。】
 尚、常夜燈の両脇には、橋の中柱のような石柱が立っている。何度かの移設も有ったのかなと思う。綺麗な状態で残っていて、何時まででも残って欲しい。
サイズ:
基 壇:
基 礎:二段
 竿 :正面=奉燈金比羅大権現 右側=寛政九丁巳年四月吉日 左側=願主高松 知光の陰刻
火 袋:
中 台:
 笠 :
宝 珠:
願 主:
石 工:
素 材:
閑話休題:鶴市町は明治23年(1890)2月15日の町村制施行前は鶴市村であった。鶴市村と飯田村と郷東村が合併し、弦打村に昭和31年(1956)9月30日の高松市第5次合併で元の村がそのまま町名になる。
 この土地を題材にした。菊池寛作 短編戯曲『義民甚兵衛』 
 村名由来は,室町時代の宗祗法師の「弦打の山より出ずる月影は弓張りとこそいうべかりけれ」の「弦打山」に因むという。【弦打山は浄願寺山の別名】
資料等:弦打地区地域おこし事業推進委員会設置説明板、弦打コミュニティーセンターだより、Wikipediaなど
撮影日:2010年5月12日
近隣施設:この地区周辺には道標が多数残っている。

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