寺 名:一乗山・惣持院・大日寺
本 尊:大日如来
開 基:
創 建:
宗 派:高野山真言
札 所:
住 所:徳島県海部郡海陽町宍喰浦字宍喰423
マピオンマップ↓↓↓↓
https://www.mapion.co.jp/m2/33.566036249931955,134.30455146350525,19
マップコード↓↓↓↓
427 216 476*25
電 話:0884-76-2155
由 緒
明治時代以前は、円頓寺(阿波駅路寺八ヶ寺)、真福寺と大日寺の三寺が寺町の北部に広大な境内を有し、各寺の伽藍がその壮大さを誇っていたが、円頓寺、真福寺の疲弊にともない、大正元年(1912)大日寺に合併して現在におよんでいる。
大日寺は、真言宗金剛峯寺末で、方丈には本尊、大日如来(胎蔵界大日如来とよぶ)、毘沙門天、不動明王、薬師如来、弘法大師など安置している。
薬師堂は、旧真福寺を移したもので、本尊大日如来(金剛界)および庚申は、もと円頓寺に祀ってあったもので、薬師像は、真福寺に祀ってあったものである。もと、祇園宮の秘仏本尊として、明治初期神仏分離の時まで、祇園宮に祀ってあったが、その後、神殿とともに真福寺に移転し祀ったものである。
祇園とは、お寺の事で、釈迦が初輪廻をした寺を祇園精舎という。故に本殿は祇園牛頭天王を本尊として、薬師仏は牛頭天王の本地仏である。
当時は、室町時代の末葉、宍喰南北両城の菩提寺であった大乗山惣感寺(禅宗)で愛宕山の東下にあった。現在の土地に移ったのは、天正三年(1574)と大日寺記に記されている。
なお、翌天正三年(1575)に長宗我部元親の侵入により、大いに荒廃を来していた。蜂須賀氏入国後、蜂須賀蓬庵公より寺号を改め、一乗山惣持院大日寺と命名されて再建した。もと、禅宗であった寺を真言宗に改宗したのもこの時であった。
資料等:海部町誌など、
駐車場:
関連記事:徳島藩駅路寺制に関する一考察PDF(徳島大学)
撮影日:2018年8月17日
近隣施設:宍喰浦の化石漣痕、大里松原海岸、徳島県、













本 尊:大日如来
開 基:
創 建:
宗 派:高野山真言
札 所:
住 所:徳島県海部郡海陽町宍喰浦字宍喰423
マピオンマップ↓↓↓↓
https://www.mapion.co.jp/m2/33.566036249931955,134.30455146350525,19
マップコード↓↓↓↓
427 216 476*25
電 話:0884-76-2155
由 緒
明治時代以前は、円頓寺(阿波駅路寺八ヶ寺)、真福寺と大日寺の三寺が寺町の北部に広大な境内を有し、各寺の伽藍がその壮大さを誇っていたが、円頓寺、真福寺の疲弊にともない、大正元年(1912)大日寺に合併して現在におよんでいる。
大日寺は、真言宗金剛峯寺末で、方丈には本尊、大日如来(胎蔵界大日如来とよぶ)、毘沙門天、不動明王、薬師如来、弘法大師など安置している。
薬師堂は、旧真福寺を移したもので、本尊大日如来(金剛界)および庚申は、もと円頓寺に祀ってあったもので、薬師像は、真福寺に祀ってあったものである。もと、祇園宮の秘仏本尊として、明治初期神仏分離の時まで、祇園宮に祀ってあったが、その後、神殿とともに真福寺に移転し祀ったものである。
祇園とは、お寺の事で、釈迦が初輪廻をした寺を祇園精舎という。故に本殿は祇園牛頭天王を本尊として、薬師仏は牛頭天王の本地仏である。
当時は、室町時代の末葉、宍喰南北両城の菩提寺であった大乗山惣感寺(禅宗)で愛宕山の東下にあった。現在の土地に移ったのは、天正三年(1574)と大日寺記に記されている。
なお、翌天正三年(1575)に長宗我部元親の侵入により、大いに荒廃を来していた。蜂須賀氏入国後、蜂須賀蓬庵公より寺号を改め、一乗山惣持院大日寺と命名されて再建した。もと、禅宗であった寺を真言宗に改宗したのもこの時であった。
資料等:海部町誌など、
駐車場:
関連記事:徳島藩駅路寺制に関する一考察PDF(徳島大学)
撮影日:2018年8月17日
近隣施設:宍喰浦の化石漣痕、大里松原海岸、徳島県、













コメント