鳥居 瀧蔵記念碑
鳥居 瀧蔵
【明治三年五月四日(1870)~昭和二十八年一月十四日(1953)】
業 績:考古学、人類、民俗学者
出身地:徳島県徳島市
住 所:徳島県徳島市城内
場 所:徳島中央公園
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56 262 421*32
碑 文:
 鳥居瀧蔵博士は、明治三年徳島市東船場の煙草問屋に生まれ、小学校中退後、独学自立を志し、苦学勉励の末、東京帝国大学人類学教室の助手、講師、助教授に進む。この間、台湾、シベリア、中国、朝鮮半島、樺太、千島列島の調査研究を行う。明治三十九年、モンゴル王の招きを受け、夫人と共に幼児を抱いて内外モンゴルを踏査する。大正十年、東京帝国大学より文学博士の学位を授与される。同十二年帝国大学を辞して鳥居人類学研究所を設立。大正の末、上智大学文学部長、国学院大学教授に迎えられ、昭和十一年には外務省文化使節として南米インカの調査を行う。昭和十四年から十二年間、北京燕京大学教授に招かれ、研究に没頭する。帰国後、昭和二十八年一月十四日、八十二歳で逝く。英独中蒙語に通じ、著書百余冊という偉大な功績を学会に残された世界的学者。死後、名誉市民を追贈される。(碑銘より)
 なお、城山貝塚は、大正十一年、鳥居瀧蔵博士が発掘調査したもので、本県考古学の基礎を築いた記念碑的遺跡です。
【徳島市教育委員会】
資 料:現地説明板、
撮影日:2018年12月14日

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