神社名:若宮神社(大松若宮八幡社)
主祭神:宇都宮修理太夫正綱
創 建:
創 基:
社 格:
住 所:愛媛県西予市明浜町高山
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電 話:
歴 史
 棟札によると、天保十三年(1842)に再建された時の棟札が現存し、次の様に書かれています。「天保辛丑年より同号十三壬寅二月二十二日正遷座奉仕神主、二葉山住、管氏主斗亮廣次 謹上道山麓大松、若宮八幡社、再奉造立霊感鎮座御璽今上天子萬世長久征夷大将軍国主御武運長久、五穀豊饒、雨風順時、萬民和楽、漁業繁昌、云々」。とあり、世話人頭として與治兵衛、吉右衛門、庄官田中九郎與治兵衛。外世話人二十四人、大工蔵貫村清藏とあります。
 此の時は南向きに建てられてました。
 現在の社殿は、明治十二年に建立新築されたもので、此の時に居城の堂山城(城の森)が見えるようにと西向きに建て替えられました。【棟札 西予市指定有形文化財=昭和六十二年十月七日指定】
札所等: 
解 説
伝 説:
H P:
文化財等:
資料等:現地説明板、城郭放浪記様、
駐車場:無し(伊予銀行開店までは当行駐車場で)
撮影日:2018年9月18日
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 盃状穴の手水鉢
 右側にある手水鉢を「盃状穴の手水鉢」といい、信仰の篤いお宮nakanohaasiいのみ残されている貴重なものであります。
 鎌倉時代頃より、お参りをする時に祈願成就・子孫繁栄等を念じながら小石を持って手水鉢の縁へキリキリ揉み込むと願いが叶うと言いう習慣があり、鉢の縁に盃状の窪みが作られています。この手水鉢には十二ヶ所の窪みがあり、とても嬉しいです。十年や二十年ではこのようにはなりません。
 手水鉢に年号が彫られていますが風化して字が読めなくなっています。おそらく若宮神社創建当初からのものと思われます。
 後から奉納された手水鉢は明治三年奉納と有りますが、明治以降の手水鉢にはこの習慣が無くなり、盃状穴を見ることは出来ません。
 この「盃状穴の手水鉢」は地域住民からの篤い信仰を寄せられたことを証明する貴重な文化遺産であります。
 西予市には、宇和町伊賀上の「歯長寺」にもこの「盃状穴の手水鉢」が残されています。
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 河童の狛犬
 拝殿の両脇に河童の石像が狛犬のように若宮様をお守りしており、土地の人々はエンコ様と呼んで敬愛しています。向かって左側の河童は鯛を抱えており、このような狛犬は全国でもこれ一例のみです。
 この河童は、高山城主宇都宮修理太夫正綱公(若宮様)にまつわるわる伝説で、正綱公の恩情と、河童の恩返しを現しております。
 三百年昔に載成された「宇和旧記」にも、若宮様と河童の伝説が詳しく書かれて居ります。
 此の石像は、明治十四年(1881)に建てられました。【西予市指定有形文化財=昭和四十九年十月一日指定】
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 正綱公廟
 若宮様こと宇都宮修理太夫正綱公は、天正七年(1579)岡本城合戦の折、援軍として三間表へ赴き、土佐の長宗我部軍との合戦で討死しました。家臣達はその首級を持ち帰り、大松の根元え埋めたとありいます。
 その大松は松喰虫にの為、昭和三十九年に枯れたのが惜しまれます。
 正綱公は、西園寺旗下黒瀬衆八騎の一人として、槍と馬の名手であったと伝えられ、宇和郡記にも「正綱は宇都宮氏にして、武勇衆に勝れたる名士なり、岡本城激戦の時戦死す。」と書かれて居ります。
 廟に供えられたお水は、イボ取りの霊験があるとされ、常に清らかな水が供えられて居て、信徒の香華も絶えません。
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