国分川の地蔵渡し 高知県南国市国分
国分橋が明治三十年(1897)に架けられるまでは、国分と南方との交通は、地蔵渡しを徒渉する一本であった。渡しの南は遍路道と一体をなし、北は国分寺、領石と結んでいた。
ここ北側の堤防上には文化七年(1810)の刻のある花崗岩の地蔵菩薩像があり、この渡し名の由来や古さがわかる。地蔵渡しは、国分寺への遍路道の一つであり、お遍路さんの道しるべ的存在でもあった。
尚、この北岸一体にかけて「マチ」「マチガシラ」「イチバ」「ヒガシフルイチ」「ニシフルイチ」のホノギ(小字)があり、南岸の廿枝(はたえだ)「フルイチ」とならび国庁、国分寺の全盛時代の市場化、市街化が想像される。北方に見える木立は国分寺跡で国の史跡に指定されており、林内には四国霊場二十九番札所、国分寺がある。
資 料:現地の説明板
撮影日:2014年9月26日
近隣施設:土佐国分寺、土佐国分寺跡、紀貫之居館跡、道の駅「南国風良里」
国分川
この石組みは雁木かも
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