旧広瀬家住宅 重要文化財(建築物) 平成十五年五月三十日指定
愛媛県新居浜市上原2丁目 
電話:0897-40-6334
入場料:520円(新居浜市広瀬歴史記念館含む)
 旧広瀬邸は、「別子銅山を支えた実業家の先駆的な近代和風住宅」として国指定の重要文化財になった。
 母屋は明治十年建築、明治二十年の現在地に移築、新座敷と庭園は明治二十二年に建築・造園され、母屋二階の望煙楼からは、新居浜市を一望することができます。邸宅は伝統的な日本建築様式を持ちながら開国により西洋から輸入されたマントルピース、洋式便器、板ガラス、避雷針といった新しい文化が取り入れられており、そのふたつが見事に調和しています。そこに、西洋の進んだ技術により別子銅山を近代化した広瀬宰平の「遠大る計画」と「進取の気性」の思いを垣間見ることができます。

 記念館の概要
 幕末・明治の動乱期に、政府による接収や住友の経営難による売却から別子銅山をまもり、その開発の近代化を推進した「広瀬宰平」。彼はまた、わが国の産業の育成にも力を注ぎ国家の発展に貢献しました。
 この記念館は、宰平の足跡を通して新居浜の生い立ちと日本の近代産業の歩みをたどる施設です。
 展示館
 展示室入口にある現代の望煙楼と称した象徴空間では、南北に赤石連峰と燧灘の眺望を満喫することができます。そして、別子鉱山鉄道の切り通しを再現したジオラマを抜けると、宰平の人生がいくつかのテーマー毎に映像や実物資料、パネルを用いて紹介しています。
 叔父に伴われ9歳にして初めて別子銅山に赴いて以来、その経営維持に奔放し、採鉱・精錬や陸運の近代化を推進するなど、わが国殖産興業に尽力した宰平の姿がここにあります。
休館日:月曜日(祝日は翌日)、12月29日~1月3日
開館時間:9:30~17:00
駐車場:広瀬公園を使用(無料)
撮影日:2014年8月27日
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記念館へ
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 広瀬宰平(ひろせさいへい)像
 明治三十一年、宰平の古稀記念として住友家から贈られ、昭和十八年、戦時供出された。平成十五年春、高村光雲の木型を用いて東京芸術大学の手で復元されました。
年譜
文政十一年(1828) 近江国に医者北脇理三郎の次男として誕生
天保七年(1836)  叔父に伴われ、別子銅山に赴き、二年後勤務
安政二年(1855)  広瀬義右衛門の夫婦養子になる
慶応元年(1865)  別子銅山支配人に就任
明治十年(1877)  住友家総代理人(後に総理事)となる
明治二十四年(1891)別子鉱山鉄道敷設に着手、同二十六年竣工
明治二十五年(1892)民間人として初めて明治勲章を受賞
明治二十七年(1894)住友家を依願退職、三年後に須磨に隠棲
大正三年(1914)  死去、享年八十七歳
【大阪商工会議所・大阪株式取引所の設立発起人、関西貿易社・大阪製銅会社の設立発起人、住友家法を制定、大阪商船設立初代頭取、住友近江製糸場設立、その他】
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