維新の門群像 高知県高岡郡梼原町
近代日本の魁となった土佐勤王党の志士の偉業は、筆舌に尽くし難く、誠に偉大なものであります。
維新の里といわれる檮原からも。吉村虎太郎、那須信吾、那須俊平、前田繁馬、中平龍之助、掛橋和泉の六志士を輩出し、又、維新回転の立役者である坂本龍馬も風雲急を告げる中盟友澤村村惣之丞と共に当地の那須邸に投宿し、酒を酌み交わしながら時局を談じた後、那須父子の案内で韮ヶ峠を経て土佐を脱藩し、維新回転の奔流に身を投じました。
これに前後して、土佐勤王党の数多くの志士たちも、宮野々関門を経て九十九曲峠を越え、激しい時代のうねりの中に次々と散華してゆきました。
封建社会から近代社会への黎明を告げた彼ら明治維新の志士たちの偉大な功績のの顕彰と。過疎、高齢化社会の現代にあって、農村村は今や崩壊の危機に瀕しており、このような中で次代を担若者たちに、この伝統と誇りを持ち、更なる地域の発展を願って、平成四年八月三日、維新の門群像建立委員会を組織し、八志士の群像の建立地を、日本最後の清流四万十川源流、梼原川の高台であり、志士たちの旅立ちの地でもある、此所和田城址と定め、募金活動を進めてまいりました。
そして、この趣旨に御賛同賜り貴重な浄財を御寄せいただきました全国各地の皆様方の熱い思いは、寄付金総額1億373万4814円となりました。
又、群像製作を担当されました浜田浩造先生には、緻密な時代考証と優れた芸術性をもって渾身の情熱を注がれ、昼夜を分たぬ御努力の中で、立派に完成いただきました。その間、顧問並びに委員の方々には、その豊富な見識により貴重な御助言を賜りまして、平成七年十一月十一日、待望の除幕を迎えることができましたことに対して、深甚の感謝を申し上げます。
ここに、御寄附いただきました皆様方の御芳名を記し、衷心よりのお礼と致します。
最後に、この維新の門の建立を契機として、檮原町と全国の皆様との新しい交流が広がることを切に願うもの
近代日本の魁となった土佐勤王党の志士の偉業は、筆舌に尽くし難く、誠に偉大なものであります。
維新の里といわれる檮原からも。吉村虎太郎、那須信吾、那須俊平、前田繁馬、中平龍之助、掛橋和泉の六志士を輩出し、又、維新回転の立役者である坂本龍馬も風雲急を告げる中盟友澤村村惣之丞と共に当地の那須邸に投宿し、酒を酌み交わしながら時局を談じた後、那須父子の案内で韮ヶ峠を経て土佐を脱藩し、維新回転の奔流に身を投じました。
これに前後して、土佐勤王党の数多くの志士たちも、宮野々関門を経て九十九曲峠を越え、激しい時代のうねりの中に次々と散華してゆきました。
封建社会から近代社会への黎明を告げた彼ら明治維新の志士たちの偉大な功績のの顕彰と。過疎、高齢化社会の現代にあって、農村村は今や崩壊の危機に瀕しており、このような中で次代を担若者たちに、この伝統と誇りを持ち、更なる地域の発展を願って、平成四年八月三日、維新の門群像建立委員会を組織し、八志士の群像の建立地を、日本最後の清流四万十川源流、梼原川の高台であり、志士たちの旅立ちの地でもある、此所和田城址と定め、募金活動を進めてまいりました。
そして、この趣旨に御賛同賜り貴重な浄財を御寄せいただきました全国各地の皆様方の熱い思いは、寄付金総額1億373万4814円となりました。
又、群像製作を担当されました浜田浩造先生には、緻密な時代考証と優れた芸術性をもって渾身の情熱を注がれ、昼夜を分たぬ御努力の中で、立派に完成いただきました。その間、顧問並びに委員の方々には、その豊富な見識により貴重な御助言を賜りまして、平成七年十一月十一日、待望の除幕を迎えることができましたことに対して、深甚の感謝を申し上げます。
ここに、御寄附いただきました皆様方の御芳名を記し、衷心よりのお礼と致します。
最後に、この維新の門の建立を契機として、檮原町と全国の皆様との新しい交流が広がることを切に願うもの
であります。
平成八年三月二十四日 維新の門群像建立委員会 現地説明板より転載しました。
写真は2013年10月2日撮影
場所はスポットノート『銅像や記念碑map』に投稿します。
平成八年三月二十四日 維新の門群像建立委員会 現地説明板より転載しました。
写真は2013年10月2日撮影
場所はスポットノート『銅像や記念碑map』に投稿します。







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