高野の舞台 国指定重要有形民俗文化財 昭和五十二年六月十四日指定 高知県高岡郡津野町高野三島神社境内
この舞台は、明治六年八月に建築されたもので、舞台裏でのハンドル操作により、舞台を回転させる当時とし
この舞台は、明治六年八月に建築されたもので、舞台裏でのハンドル操作により、舞台を回転させる当時とし
ては進んだカラクリの「鍋蓋上廻し式舞台」である。
前橋工業短大の松崎茂博士の調査発表「農村舞台考」の中に「高野の舞台は、その機構で日本唯一の鍋蓋上廻し式の農村舞台で、発展過程の歴史的資料であり、学術的にも非常に貴重なものでる」と述べられている。
その昔より、この地方で、民衆娯楽として農村歌舞伎が盛んであったことは、各所に残る農村舞台や、旧家に
前橋工業短大の松崎茂博士の調査発表「農村舞台考」の中に「高野の舞台は、その機構で日本唯一の鍋蓋上廻し式の農村舞台で、発展過程の歴史的資料であり、学術的にも非常に貴重なものでる」と述べられている。
その昔より、この地方で、民衆娯楽として農村歌舞伎が盛んであったことは、各所に残る農村舞台や、旧家に
残る浄瑠璃本等によって推察される。中でも、当高野地区は最も盛んであったようで、山本家には、天誅組で活
躍した前田繁馬先生愛蔵の「伊賀越道中記」等数多くの浄瑠璃本が保存されている。
言い伝えによると、この舞台建築前にも廻り舞台があったとのことであり、藩政中期頃概に同種の舞台が建築
言い伝えによると、この舞台建築前にも廻り舞台があったとのことであり、藩政中期頃概に同種の舞台が建築
されていたことも考えられる。
価値高いこの舞台とともに、農村歌舞伎の伝統も守り続けてゆきたいものである。昭和五十三年三月 津野村
価値高いこの舞台とともに、農村歌舞伎の伝統も守り続けてゆきたいものである。昭和五十三年三月 津野村
教育委員会 説明板より転載しました。
高野農村歌舞伎
日時 平成二十五年十月五日(土) 午後五時三十分
場所 高野の廻り舞台 高知県高岡郡津野町高野
演題 浄瑠璃式三番叟、白波五人男、虎太郎魁大和錦
太夫 竹本美園
振付 中村和子
下座音楽 望月左喜三郎
高野農村歌舞伎
日時 平成二十五年十月五日(土) 午後五時三十分
場所 高野の廻り舞台 高知県高岡郡津野町高野
演題 浄瑠璃式三番叟、白波五人男、虎太郎魁大和錦
太夫 竹本美園
振付 中村和子
下座音楽 望月左喜三郎
写真は、2013年10月2日撮影
場所は、スポットノート『古建築物map』に投稿します。
近郊スポット 風神塚、中平善之進銅像
場所は、スポットノート『古建築物map』に投稿します。
近郊スポット 風神塚、中平善之進銅像
国道側より
三島神社鳥居
高野の茶堂
藩政時代から津野山には、各地に通ずる街道沿いに茶堂が建てられていた。茶堂の中には仏像が祀られており、盆月には、里人が交代で通行人に茶葉の接待をして、心情と社交の場としての役割を果たしていた。年中開放されていて、旅人はここで自由に宿泊することが出来た。
茶堂は道路の整備が進むと、次々と取り壊されて今では町内に数箇所残っているのみである。
ここの茶堂は萩の地蔵が安置されている。四万十川流域の文化的景観 より。
藩政時代から津野山には、各地に通ずる街道沿いに茶堂が建てられていた。茶堂の中には仏像が祀られており、盆月には、里人が交代で通行人に茶葉の接待をして、心情と社交の場としての役割を果たしていた。年中開放されていて、旅人はここで自由に宿泊することが出来た。
茶堂は道路の整備が進むと、次々と取り壊されて今では町内に数箇所残っているのみである。
ここの茶堂は萩の地蔵が安置されている。四万十川流域の文化的景観 より。
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