出羽島・大池(おおいけ) 徳島県海部郡牟岐町出羽島
大池は島の西南部に位置する、東西約30m南北約70mの池で、東側を山に、西側は海岸となり、山側からは淡水が、海側からは、海水が流入し、海水と淡水の割合が2対1となっており、シラタマモの自生するのに最適の条件をそなえています。(汽水湖) 又、この池には、昔大きな蛇が住んでいたとの伝説が残っています。
文は、牟岐町HPより転載しました。
大池は島の西南部に位置する、東西約30m南北約70mの池で、東側を山に、西側は海岸となり、山側からは淡水が、海側からは、海水が流入し、海水と淡水の割合が2対1となっており、シラタマモの自生するのに最適の条件をそなえています。(汽水湖) 又、この池には、昔大きな蛇が住んでいたとの伝説が残っています。
文は、牟岐町HPより転載しました。
シラタマモ
シラタマモは、中世代の白亜紀(約一億四千万年前)に繁殖したシャジクモ科に属する海藻である。この植物の仮根部に白色の小珠体をつけることから命名された。
現在の分布は、世界で四ヶ所に限られている。海水から淡水へと進化する移行過程をそのまま今日まで残すもので、「生きた化石」とさえ言われ貴重な植物である。
昭和四十七年(1972)3月16日に国の天然記念物に指定されている。
文は現地説明板より転載しました。
シラタマモは、中世代の白亜紀(約一億四千万年前)に繁殖したシャジクモ科に属する海藻である。この植物の仮根部に白色の小珠体をつけることから命名された。
現在の分布は、世界で四ヶ所に限られている。海水から淡水へと進化する移行過程をそのまま今日まで残すもので、「生きた化石」とさえ言われ貴重な植物である。
昭和四十七年(1972)3月16日に国の天然記念物に指定されている。
文は現地説明板より転載しました。
大蛇伝説
大池には大蛇が住み丘に上がら大きな石を枕に昼寝をしていたと云う伝説がある。雨情が残した歌にも一節がある。(出羽島連絡船発着場附近に歌碑がある。)
《「蛇の枕」という石・岩は各地にあって、雨乞いの祭場となったりする》
大池には大蛇が住み丘に上がら大きな石を枕に昼寝をしていたと云う伝説がある。雨情が残した歌にも一節がある。(出羽島連絡船発着場附近に歌碑がある。)
《「蛇の枕」という石・岩は各地にあって、雨乞いの祭場となったりする》
野口雨情が残した十五節歌
牟岐みなと節(大漁節)
阿波の牟岐町南に向いて 春を待たずに豆が咲く 句碑
船は港に鴎は沖に 牟岐の渚は夕焼ける
八坂橋越し大坂あたり 春は桜の花吹雪
牟岐の港を出船の時にや 後ろふり向きふり返り
向かう出羽島なつかしところ 船に蝶々もついて行く
誰と別れか観音山の 夜明け烏が鳴いて行く
五剣胴切矢筈が目あて 船は港を差して来る
船で廻れば出羽島一里 島にや大池蛇の枕 句碑
波の音聞き小張の松は 思やいく年経たのやら
牟岐の大川橋は流されぬ 流しや便りが遠くなる 句碑
磯のあそぢや小島の浜や 波もしずかな砂美の浜 句碑
沖の大島姫神様は 通う船路の守り神
八坂八浜の難所でさえも 親の後生ならいとやせぬ
見たか出羽島どのせの濱に うつは荒波花と散る
雲の中から雨ふり月が 浜の小舟の中のぞく
牟岐みなと節(大漁節)
阿波の牟岐町南に向いて 春を待たずに豆が咲く 句碑
船は港に鴎は沖に 牟岐の渚は夕焼ける
八坂橋越し大坂あたり 春は桜の花吹雪
牟岐の港を出船の時にや 後ろふり向きふり返り
向かう出羽島なつかしところ 船に蝶々もついて行く
誰と別れか観音山の 夜明け烏が鳴いて行く
五剣胴切矢筈が目あて 船は港を差して来る
船で廻れば出羽島一里 島にや大池蛇の枕 句碑
波の音聞き小張の松は 思やいく年経たのやら
牟岐の大川橋は流されぬ 流しや便りが遠くなる 句碑
磯のあそぢや小島の浜や 波もしずかな砂美の浜 句碑
沖の大島姫神様は 通う船路の守り神
八坂八浜の難所でさえも 親の後生ならいとやせぬ
見たか出羽島どのせの濱に うつは荒波花と散る
雲の中から雨ふり月が 浜の小舟の中のぞく
遊歩道からの大池
丸石で出来た堰堤
池の内側
出羽島漁村センター前に置かれた水槽の写真
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