レトロアイランド・出羽島(てばじま)
住 所 徳島県海部郡牟岐町大字牟岐浦字出羽島
世帯数 97戸
人 口 188人(男82人、女106人) (平成7年度国勢調査) 《2012年8月現在 71世帯105人》
面 積 約0.4平方㎞
産 業 漁業のみ
住 所 徳島県海部郡牟岐町大字牟岐浦字出羽島
世帯数 97戸
人 口 188人(男82人、女106人) (平成7年度国勢調査) 《2012年8月現在 71世帯105人》
面 積 約0.4平方㎞
産 業 漁業のみ
出羽島は、牟岐港から南3,27kmの沖合に浮かぶ、周囲4㎞の玉石で囲まれたとても小さな島です。古くは「手羽(ては)」、「出波(では)」とも呼ばれていました。現在でも自動車が走ってない。当然信号機もない。荷物の運搬は手押し車や荷車で行われている。
風による被害を避けるため、民家の軒高は低く、いぶし瓦と、一様に揃った軒先の連なりが印象的。明治から昭和初期の建物も多く、まとまった漁村集落が残存する。民家の特徴として「ミセ造り(蔀長)」があり、上セミ(雨戸)と下セミ(縁台)に分かれます。見どころいっぱいの出羽島です。
風による被害を避けるため、民家の軒高は低く、いぶし瓦と、一様に揃った軒先の連なりが印象的。明治から昭和初期の建物も多く、まとまった漁村集落が残存する。民家の特徴として「ミセ造り(蔀長)」があり、上セミ(雨戸)と下セミ(縁台)に分かれます。見どころいっぱいの出羽島です。
寛政12年(1800)に阿波藩の命で、牟岐浦庄屋「青木家」他、5軒が移り住んだのが集落の始まりだといわれ、その後漁師「山村氏」のよって阿波沚(あわばえ)が発見され鰹漁が盛んになり島内に5軒の鰹節工場があったそうです。工場では牟岐の町から大勢に人が工場へ働きに島に通って来ていたそうです。
戦前までは「青木家」が島の全てを持っていて、戦後は住人が住んでいた家を買い取った。電気は昭和41年に水道はその後になって初めて電気、水を自由に使えるようになったそうです。それまでは発電機で発電し家当り裸電灯1個にラジオ位しか使えなかった。水は島内に井戸が5基程あったが、1基を除いて塩分が強くて飲み水には適さなかったようです。
面積は約0.4平方キロメートル。島一周の遊歩道があり、出羽島灯台からは、東に紀州・蒲生田岬、西に室戸、南に太平洋、北に四国山脈が展望できる。島内には国の天然記念物である「出羽島大池のシラタマモ自生地」や「蛇の枕」や史跡「石積みの大波止」等の観光資源がある。
戦前までは「青木家」が島の全てを持っていて、戦後は住人が住んでいた家を買い取った。電気は昭和41年に水道はその後になって初めて電気、水を自由に使えるようになったそうです。それまでは発電機で発電し家当り裸電灯1個にラジオ位しか使えなかった。水は島内に井戸が5基程あったが、1基を除いて塩分が強くて飲み水には適さなかったようです。
面積は約0.4平方キロメートル。島一周の遊歩道があり、出羽島灯台からは、東に紀州・蒲生田岬、西に室戸、南に太平洋、北に四国山脈が展望できる。島内には国の天然記念物である「出羽島大池のシラタマモ自生地」や「蛇の枕」や史跡「石積みの大波止」等の観光資源がある。
現在は「出羽島アート展2013」が港周辺の古民家、海岸の空き地などに展示されている。
http://blogs.yahoo.co.jp/takamaturocky/37493244.html
今回は牟岐港発13:30 帰りは16:25発 帰りの船は島関係者以外では観光客私1名でした。早めの船で行ってください。
今回は牟岐港発13:30 帰りは16:25発 帰りの船は島関係者以外では観光客私1名でした。早めの船で行ってください。
文は出羽島散策得地図&Wikipedia&聞き取りなどより転載しました。
写真は2013年2月5日撮影
場所はワイワイマップ『古い街並み風景map』にスポット投稿します。
写真は2013年2月5日撮影
場所はワイワイマップ『古い街並み風景map』にスポット投稿します。
尚、港・出羽島灯台・アート展示の一部・大池は別途記事での投稿をします。
出羽島風景 帰りの船より
東周り遊歩道
出羽島町並
出羽島神社
露地
町並
セミ
石積棚田
共同井戸
蛇の枕
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