名 称:女子(めっこ)鼻灯台 [5643]
 住 所:愛媛県西宇和郡伊方町九町(くちょう)
 塗 色:白色
 塔 形:コンクリート造
 塔高(地上~塔頂):12m
 灯火標高(平均海面~灯火):64m
 灯質・灯色:群明暗白光 明3秒暗1秒明1秒暗1秒
 光達距離:14海里
 明 弧:
 初点灯:昭和52年11月
 エピソード:
 周辺施設:
 資料:海上保安庁刊行「灯台表」&Wikipediaなどより転載しました。
 撮影日2012年12月23日撮影
 場所はワイワイマップ(旧海の道の燈篭台、海の常夜燈と岬の灯台map)にスポット投稿します。
 アクセス:女子岬遊歩道標識より遊歩道を下っていきます。上がったり下がったりしながら約800超m歩くと目の前階段が現れます。上がった先が灯台です。
 佐田岬半島の南側の豊後水道に面し八幡浜港と対岸の大分県を結ぶ海の要所です。
 女子(めっこ)の由来は、半島が女性が上向きに横たわる裸像に似ているから。???。灯台があるところあたりが頭部らしいです。
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 女子(めっこ)製錬所跡 愛媛県西宇和郡伊方町九町
 明治の中期より大正初期のかけて、三崎半島の鉱業開発が盛んに進められ、銅鉱製錬所は町見村女子岬、三崎村童子ヶ鼻、八幡浜町佐島の三か所にあり、付近の銅鉱を集めて精錬していた。
 明治三十一年、町見女子岬に作られた製錬所は、最初はのがまや吹子式の幼稚な施設であったが、日露戦争当時、新式の施設にされ、約十年間順調に操業された。しかし、その後、銅相場の暴落や煙害による付近住民の反対もあり、明治四十一年頃から操業困難となった。
 煙害については、愛媛新報に次のような記録がある。
 明治四十一年一月十四日付・・・煙害賠償金を区長により、土地所有の広狭に応じ相当に分配した。
 明治四十一年七月四日付・・・拡張し機械も完全に設備された。
 明治四十一年八月十七日付・・・損害賠償と東南風時の操業中止の要求。製錬所これを拒否する。大騒ぎとならないよう、毎年十一月八日を吹子祭とし部落代表者を招待、往復特船の便をしたてるなど優遇・緩和をはかった。
 製錬所はたびたび賠償金の支払いをしたり、吹子祭を催し、住民の懐柔をはかったりしたが、明治四十四年、明治精錬会社に売り渡され、大正初期に廃止された。現在は、その頃の施設の一部であるのがまだ数多く残り、からみ、船着場等も残っている。文は伊方町教育委員会説明板より転載しました。
 
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