【南面山・屋島寺】 |
天平勝宝六年(754)、唐の国より正式に和国に迎えられた鑑真和上が来朝際、訪れたのが屋島山上。和上は山北の北嶺こそ伽藍建立の霊地なりとて念誦、開基さた。
その後、和上の弟子の恵雲師が登攀し、和上の開創した霊地に堂宇を建立したのが始まりであり、恵雲師は第一代目の住職となった。
弘仁六年(815)には、嵯峨天皇の勅願を奉じて来錫した空海が、それまで北嶺にあった伽藍を現在の南嶺に移すと共に十一面千手観世音菩薩を刻んで本尊として安置。四国霊場八十四番札所と定められた。
寺運は平安期から天暦、藤原、鎌倉時代は隆盛を見たが、以後は盛衰の歴史を繰り返している。
寺宝に「平重盛」寄進の鉄燈籠(腐食が激しいので非公開 土佐光信筆源平合戦図 「悪七兵衛景清(藤原景清・平景清・伊藤景清)」の守り本尊である千手観世音菩薩などがある。
本堂=重要文化財(建造物)昭和30年6月22日指定
梵鐘=重要文化財(工芸品)昭和42年6月15日指定
木造千手観世音菩薩座像=重要文化財(彫刻)昭和30年2月2日指定
087-841-9418
文は四国八十八ヶ所詳細地図帖などより転載しました。
屋島太三郎狸
其の昔、空海が四国八十八ヶ所開創のみぎり、霧深い屋島で道に迷われ蓑笠を着た老人に山上まで案内されたと言う。後にその老人こそ太三郎狸の変化術の姿であったと信じられております。
屋島の太三郎狸は佐渡の団三郎狸、淡路の芝右衛門狸と共に日本三名狸に称されています。太三郎狸は屋島寺本尊十一面千手観音の御申狸(おんもうしだぬき)又数多くの善行をつんだため、土地の地主の神として本堂の横に蓑山大明神として祭祀されている。四国狸の総大将とあがめられ、その化け方の高尚さと変化妙技は日本一であった。
尚 屋島太三郎狸は一夫一婦の契も固く家庭円満、縁結び、水商売の神、特に子宝に恵まれない方に子宝を授け福運をもたらす狸として全国よりの信者が多い。
その他のエピソード
ある狸が矢傷で死にかけたところを平重盛に助けられ、恩義から平家の守護を誓った。その子孫が屋島の禿狸(太三郎狸)といわれる。
大寒になると300匹の眷族(けんぞく)が屋島に集まり、禿狸(太三郎狸)はかつて自分が見た源義経の八艘飛びや弓流しといった源平合戦の様子を幻術で見せたという。
その他にも多くのエピソードを残しているそうな。
文は現地説明板&Wikipediaなどから転載しました。
写真は2012年1月9日撮影
場所はワイワイマップ(源平ゆかりの地map)にスポット投稿します。↓↓↓↓
http://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=LdpXt7XEmdd1vSc6KFV.L3u_YABeM9lur1WKfT_9Quw.vvxCCoc-
ある狸が矢傷で死にかけたところを平重盛に助けられ、恩義から平家の守護を誓った。その子孫が屋島の禿狸(太三郎狸)といわれる。
大寒になると300匹の眷族(けんぞく)が屋島に集まり、禿狸(太三郎狸)はかつて自分が見た源義経の八艘飛びや弓流しといった源平合戦の様子を幻術で見せたという。
その他にも多くのエピソードを残しているそうな。
文は現地説明板&Wikipediaなどから転載しました。
写真は2012年1月9日撮影
場所はワイワイマップ(源平ゆかりの地map)にスポット投稿します。↓↓↓↓
http://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=LdpXt7XEmdd1vSc6KFV.L3u_YABeM9lur1WKfT_9Quw.vvxCCoc-
仁王門
四天門
本堂=重文
大師堂
鐘楼 梵鐘=重文 平家供養の鐘といわれる。
手洗盥
玉取り龍石像
蓑山大明神
四天門
本堂=重文
大師堂
鐘楼 梵鐘=重文 平家供養の鐘といわれる。
手洗盥
玉取り龍石像
蓑山大明神
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