【寳珠山・三谷寺】
 寳珠山(ほうじゅざん)・三谷寺(みたにじ)の宗派は真言宗御室派で香川県丸亀市飯山町東坂元 3183にあります。讃岐三十三観音霊場二十六番札所
 当寺は天平二年(730)、聖武天皇の勅願により、行基菩薩の創建せられた霊場である。
 本尊十一面観世音菩薩は、行基菩薩の御作にして、其の御頭の中には、光明皇后の守本尊十一面観世音菩薩が納められている霊佛である。天皇は当寺を勅願所とし、八葉山施無畏寺と名付けられた。後に空海が当寺に御巡錫のみぎり荒廃せる当寺を再建弥勒浄土に擬して四十九坊を建立、奥の院の厳窟中に薬師如来の石像を安置し院号を弥勒院(みろくいん)と名付けられた。鎌倉時代、四條天皇の御母藻壁門院(へきもんいん)、当寺に帰依せられ二位尼「藤原政子」をして興隆なさめ、田畑四十九町を寄進せられ寺号を浄興院長谷寺(諸国長谷寺の一つ)改稱す。後宇多法皇は深く叡慮を当寺の興隆に注がれ、田園三十六町を賜い影向山無量寿院三谷寺と改稱し給うた。
 天正年間長宗我部の兵火に遭い、諸堂悉く烏有に帰したが、天正十五年(1587)、生駒一正、当寺に帰依し、寺領六十石、山林三町四方を寄進し、高松藩祖「松平源英公」は、当寺に特別の庇護を加えられ再建されたが、寛政年間、再び火災に遭い焼失した。当時の住職「法純和尚」之を再建以来今日に至っている。
 境内は幽寂にして浮世の俗塵を離れたる霊地にして、一歩境内にに入れば心身とも洗われる思いにひたることが出来る。
 また本堂前の西国霊場一番札所の石佛を初として奥の院に至る間に三十三ケ所の石佛あり約一時間にて巡拝することが出来る。(後日記事にします。)
 文は境内の説明板より転載しました。
 0877-98-2292
 写真は2011年12月1日撮影

 仁王門
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 中門
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 本堂
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 大師堂
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 鐘楼
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 多宝塔
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 空海像
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 境内風景
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