【瑠璃山・井戸寺】 |
井戸寺は、もとは妙照寺と号し、天武天皇の勅願道場として白鳳二年(674)の開基とされ、本尊の七仏薬師如来は聖徳太子作。
その後、弘仁六年にこの地に来錫の空海が、八尺余の十一面観世音菩薩をはじめ十二神将天大王、脇侍の日光月光菩薩像を刻んで安置。
さらに空海は、錫杖で一夜に井戸を掘って、自身の面影を石像に彫刻された。この石像を日限り大師と呼ぶ。
建武年間と天正年間の二度の兵火に遭って、堂宇はことごとく焼失。阿波藩主蜂須賀光隆公が堂宇を再建。昭和四十三年には、不慮の火災にあって本堂を焼失したが、三年ごに再建できた。
088-642-1324
文は四国八十八ヶ所詳細地図帖より参照しました。
写真は、2011年10月31日撮影
場所はワイワイマップにスポット投稿します。
その後、弘仁六年にこの地に来錫の空海が、八尺余の十一面観世音菩薩をはじめ十二神将天大王、脇侍の日光月光菩薩像を刻んで安置。
さらに空海は、錫杖で一夜に井戸を掘って、自身の面影を石像に彫刻された。この石像を日限り大師と呼ぶ。
建武年間と天正年間の二度の兵火に遭って、堂宇はことごとく焼失。阿波藩主蜂須賀光隆公が堂宇を再建。昭和四十三年には、不慮の火災にあって本堂を焼失したが、三年ごに再建できた。
088-642-1324
文は四国八十八ヶ所詳細地図帖より参照しました。
写真は、2011年10月31日撮影
場所はワイワイマップにスポット投稿します。
仁王門
本堂
大師堂
鍾楼
手洗盥
納骨堂
八間堂
日限大師(おもかげの井戸)
此の井戸は、昔空海が四国霊場御開場の折り、此の地方濁水なるを憐れみ給い、御錫杖にて井戸を一夜のうちに、お堀りになり清水湧き出て「大師一夜建立の井戸」で有名になり、この付近を「井戸村」、寺号を「井戸寺」と名付けられた。
空海は、此の井戸に面影を写し、石に彫刻された御尊像あり、日を限って心願いかけると直ちにご利益を蒙ると云う。依って世に日限大師と稀せられ霊験あらたかなり。(現地説明板より抜粋)
修行大師像
本堂
大師堂
鍾楼
手洗盥
納骨堂
八間堂
日限大師(おもかげの井戸)
此の井戸は、昔空海が四国霊場御開場の折り、此の地方濁水なるを憐れみ給い、御錫杖にて井戸を一夜のうちに、お堀りになり清水湧き出て「大師一夜建立の井戸」で有名になり、この付近を「井戸村」、寺号を「井戸寺」と名付けられた。
空海は、此の井戸に面影を写し、石に彫刻された御尊像あり、日を限って心願いかけると直ちにご利益を蒙ると云う。依って世に日限大師と稀せられ霊験あらたかなり。(現地説明板より抜粋)
修行大師像
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