| 【宝珠山・津照寺と室津漁港】 |
俗称を津寺と云い、大同二年(807)弘法大師が開基した寺。
空海が、不慮の災難に遭う漁民を救い、さらに航海の安全と豊漁を願って高さ1m程の延命地蔵菩薩を刻んで本尊とし、伽藍を建立したのが始まりである。
空海が刻んだ本尊の延命地蔵菩薩は、慶長七年(1602)土佐藩主「山内一豊公」が室津の沖を航行中、俄かの暴風雨に巻き込まれて進退きわまったとき、僧に化身して御座船の舵をとって一豊公を救った、云う霊験談を持っている。それ以来、人々は本尊の事を「楫取地蔵(かじとりじぞう)」と呼び、海上安全の守護仏として船人達から慕われている。
明治の神仏分離令で一時廃寺となったが、明治十六年再興された。
空海が、不慮の災難に遭う漁民を救い、さらに航海の安全と豊漁を願って高さ1m程の延命地蔵菩薩を刻んで本尊とし、伽藍を建立したのが始まりである。
空海が刻んだ本尊の延命地蔵菩薩は、慶長七年(1602)土佐藩主「山内一豊公」が室津の沖を航行中、俄かの暴風雨に巻き込まれて進退きわまったとき、僧に化身して御座船の舵をとって一豊公を救った、云う霊験談を持っている。それ以来、人々は本尊の事を「楫取地蔵(かじとりじぞう)」と呼び、海上安全の守護仏として船人達から慕われている。
明治の神仏分離令で一時廃寺となったが、明治十六年再興された。
室津漁港
室津港は、江戸時代土佐藩の執政野中兼山により当時の殖産興業のために整備されました。津呂港(室戸岬漁港)と同じく荒磯を掘り込んで造った港です。後にも拡張工事がされていったため奥行きがあり、海が荒れた時にも多くの船が避難できたため、津呂港を凌ぐ良港であったと伝えられています。
戦後の遠洋マグロ基地として賑わった頃には、漁から戻った船がこの港に着き、漁師は港の上の料亭で久しぶりの街を楽しみました。一番室戸が賑やかであった頃の話です。今も、石堤が残されているなど、当時の風情を感じられる港です。
昔は、カツオ魚と共に捕鯨の基地でもあった。
文は、室戸市観光協会HP他より転載しました。
0887-23-0025
文は四国八十八ヶ所詳細地図帖より転載しました。
写真は、2011年8月9日撮影
場所はワイワイマップにスポット投稿します。
室津港は、江戸時代土佐藩の執政野中兼山により当時の殖産興業のために整備されました。津呂港(室戸岬漁港)と同じく荒磯を掘り込んで造った港です。後にも拡張工事がされていったため奥行きがあり、海が荒れた時にも多くの船が避難できたため、津呂港を凌ぐ良港であったと伝えられています。
戦後の遠洋マグロ基地として賑わった頃には、漁から戻った船がこの港に着き、漁師は港の上の料亭で久しぶりの街を楽しみました。一番室戸が賑やかであった頃の話です。今も、石堤が残されているなど、当時の風情を感じられる港です。
昔は、カツオ魚と共に捕鯨の基地でもあった。
文は、室戸市観光協会HP他より転載しました。
0887-23-0025
文は四国八十八ヶ所詳細地図帖より転載しました。
写真は、2011年8月9日撮影
場所はワイワイマップにスポット投稿します。
参道

鐘楼門

本堂

大師堂

境内


室津漁港(津照寺本堂から)

住が港よりかなり高い所にある。(自然環境に対応した生活の知恵)





鐘楼門

本堂

大師堂

境内


室津漁港(津照寺本堂から)

住が港よりかなり高い所にある。(自然環境に対応した生活の知恵)




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