【安並水車の里(四ヶ村溝の水車)】 |
東屋・便所・駐車場あり
安並水車の里が平成十四年六月に完成しました。高知県四万十市(旧中村市)
安並の田園地帯の中にのんびりと水車が十八基(今は十六基)一年を通して回るようになりました。見学路も大型バスが入れ、車がすれ違いできるようになりました。駐車場、休憩できるあづま屋、兼山溝についての説明板もそろい、水路わきには春野のあじさい街道をこえるあじさいと秋の花の野かんぞうが彩りをそえいに関連づけて楽しめるようにする一方、野生と水生の花を一年中観賞できるようにしようとするものです。広報なかむら(平成十四年八月号) 中村市長 澤田五十六 市長室こぼれ話より抜粋しました。
安並の田園地帯の中にのんびりと水車が十八基(今は十六基)一年を通して回るようになりました。見学路も大型バスが入れ、車がすれ違いできるようになりました。駐車場、休憩できるあづま屋、兼山溝についての説明板もそろい、水路わきには春野のあじさい街道をこえるあじさいと秋の花の野かんぞうが彩りをそえいに関連づけて楽しめるようにする一方、野生と水生の花を一年中観賞できるようにしようとするものです。広報なかむら(平成十四年八月号) 中村市長 澤田五十六 市長室こぼれ話より抜粋しました。
<><>四ヶ村溝の水車
四ヶ村溝は、藩政時代、土佐藩奉行の野中兼山により、四万十川の支流後川の麻生に分水目的の井堰(長さ160m幅11m)を設け、秋田・安並・佐岡・古津賀の四ヶ村を灌漑するために作られたものです。
この溝から水田に水を汲み上げるため数多くの水車が設置され、その豊かな風情は、「四ヶ村溝の水車」の愛称で親しまれました。
そして大きな役割を終えた今も受け継がれ、ここに生きた人々の力強い息吹を感じます。現地案内板より転載しました。
四ヶ村溝は、藩政時代、土佐藩奉行の野中兼山により、四万十川の支流後川の麻生に分水目的の井堰(長さ160m幅11m)を設け、秋田・安並・佐岡・古津賀の四ヶ村を灌漑するために作られたものです。
この溝から水田に水を汲み上げるため数多くの水車が設置され、その豊かな風情は、「四ヶ村溝の水車」の愛称で親しまれました。
そして大きな役割を終えた今も受け継がれ、ここに生きた人々の力強い息吹を感じます。現地案内板より転載しました。
<><>野中兼山(のなかけんざん)
1615~1663年(元和元年~寛文三年)初代土佐藩主山内一豊の甥の子にあたり、1636年(寛永13年)、二十一歳で奉行職に就いた。その後1663年(寛文3年)まで27年間にわたって、藩の執政となり、土佐藩主山内氏の藩政確立に身を賭して尽力した。新田開発や土木事業など大きな功績を残しているが、宿毛の河戸堰、大月柏島の石堤などもよく知られている。現地案内板より転載しました。
1615~1663年(元和元年~寛文三年)初代土佐藩主山内一豊の甥の子にあたり、1636年(寛永13年)、二十一歳で奉行職に就いた。その後1663年(寛文3年)まで27年間にわたって、藩の執政となり、土佐藩主山内氏の藩政確立に身を賭して尽力した。新田開発や土木事業など大きな功績を残しているが、宿毛の河戸堰、大月柏島の石堤などもよく知られている。現地案内板より転載しました。
写真は、2011年6月14日撮影
場所は、ワイワイマップにスポット投稿します。
場所は、ワイワイマップにスポット投稿します。
中村城祉 四万十市立郷土資料館
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