【林求馬(もとめ)邸】 |
林求馬は讃岐多度津京極藩(一万石)第6代のお殿様「高典(たかまさ)」の国家老でした。多度津陣屋(現在の町名は家中)の藩邸に住んでいました。(多度津京極家は城持でなかった。)
江戸時代の終わり頃、不穏な情勢の中、外国軍艦の攻撃にあっても安全な避難所として、別の御殿を奥白方の要害の地に建てようとしました。
それに先立ち、国家老「林求馬」も自分の住んでいた東御殿の別邸として家老屋敷を築いた。しかし、殿様の別邸は造るまもなく明治維新になりました。
内部写真は撮影禁止なのでありません。林求馬邸は毎月第一日曜日に公開されています。
林求馬は林家第7代林家当主直記(なおき)は病弱で若くして隠居し、兄の長男で、直記の養子になり第8代当主となる。第6代当主「勝五郎」第7代当主「直記」は叔父にあたります。
文は「林求馬邸」パンフレットより参照しました。
写真は、2011年3月6日撮影
場所はワイワイマップに投稿します。
文は「林求馬邸」パンフレットより参照しました。
写真は、2011年3月6日撮影
場所はワイワイマップに投稿します。
林邸全容

白壁塀

入母屋造りの玄関棟

大玄関=殿さまが御成りのときの御用玄関 衝立は「岡本秋暉」作 衝立の奥が控えの間

小玄関=家臣・従者用玄関

中廊下 手前に釜屋があった。

米倉?

井戸の奥に釜屋が有った。(現在は弘濱書院が建っています。)

勝手口?

切支丹燈籠


白壁塀

入母屋造りの玄関棟

大玄関=殿さまが御成りのときの御用玄関 衝立は「岡本秋暉」作 衝立の奥が控えの間

小玄関=家臣・従者用玄関

中廊下 手前に釜屋があった。

米倉?

井戸の奥に釜屋が有った。(現在は弘濱書院が建っています。)

勝手口?

切支丹燈籠

ワイワイマップの見方
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