【林求馬(もとめ)邸】
 林求馬(もとめ)邸は香川県多度津町奥白方の三方が山に囲まれた所にあります。慶応3年(1867)、広さ1646平方メートルの敷地に白壁の塀で囲んだ入母屋造りの屋敷(一部二階建て)が建てられました。広間(書院造り)・奥座敷(書院造り)・控えの間などが独立しないで互いに連絡された屋敷です。
 林求馬は讃岐多度津京極藩(一万石)第6代のお殿様「高典(たかまさ)」の国家老でした。多度津陣屋(現在の町名は家中)の藩邸に住んでいました。(多度津京極家は城持でなかった。)
 江戸時代の終わり頃、不穏な情勢の中、外国軍艦の攻撃にあっても安全な避難所として、別の御殿を奥白方の要害の地に建てようとしました。
 それに先立ち、国家老「林求馬」も自分の住んでいた東御殿の別邸として家老屋敷を築いた。しかし、殿様の別邸は造るまもなく明治維新になりました。
 内部写真は撮影禁止なのでありません。林求馬邸は毎月第一日曜日に公開されています。

 林求馬は林家第7代林家当主直記(なおき)は病弱で若くして隠居し、兄の長男で、直記の養子になり第8代当主となる。第6代当主「勝五郎」第7代当主「直記」は叔父にあたります。
 文は「林求馬邸」パンフレットより参照しました。
 写真は、2011年3月6日撮影
 場所はワイワイマップに投稿します。

 林邸全容
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 白壁塀
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 入母屋造りの玄関棟
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 大玄関=殿さまが御成りのときの御用玄関 衝立は「岡本秋暉」作 衝立の奥が控えの間
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 小玄関=家臣・従者用玄関
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 中廊下 手前に釜屋があった。
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 米倉?
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 井戸の奥に釜屋が有った。(現在は弘濱書院が建っています。)
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 勝手口?
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 切支丹燈籠
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