【西長尾城跡(国吉城跡)】 |
西長尾城は、丸亀平野南端、讃岐山脈の最前線ともいえる三山(大高見峰、猫山、城山)の西端に位置する城山山頂(標高375.2m)付近に築かれている。初代城主は、細川頼之に協力して白峰合戦で活躍した長尾大隅守元高が応安元年(1368)にその座に就く。以後、代々の長尾大隅守によって200年近く守られてきた。長尾一族は、この間に鵜足郡南部や那珂郡で勢力を増して岡田、栗隈、炭所に支城を構える。丸亀平野南部を支配することにより、西長尾城は中讃(香川県の中央付近)の処点としての地位を確立する。
戦国時代が終わる頃、土佐の長宗我部元親が讃岐への侵攻を始める。これに羽床(はゆか)氏(羽床城主)が奮戦するが、長宗我部氏との和平に同意した香川氏(天霧城主)が土佐方につき、仲介に入ったことから降伏した。
これによって長尾大隅守も長宗我部氏と和議を結ぶ。すぐさま長宗我部氏の重臣だった国吉甚左衛門が入城したので長尾氏はこれに城主の座を譲る。此の事から西長尾城は国吉城とも称される。
天正13年(1585)豊臣秀吉の全国統一に伴う四国征伐に屈し、長宗我部勢は土佐に退却する。これにより西長尾城(国吉城)の歴史は幕を下ろす。
文は丸亀市教育委員会の現地説明板より抜粋しました。(図も同じ)
写真は2011年2月2日撮影
場所はワイワイマップにスポット投稿します。
此処から登る

第2東屋からの展望

この地道より登る

現在地地点が上記写真の場所

この山の頂上が本丸跡(城山)

連郭式郭列跡

土塁を登る

城山三角点

本郭跡(三角の山が猫山)

三角の山が猫山 奥が大高見峰(山頂から)

飯野山(讃岐富士)奥が青ノ山(山頂から)



第2東屋からの展望

この地道より登る

現在地地点が上記写真の場所

この山の頂上が本丸跡(城山)

連郭式郭列跡

土塁を登る

城山三角点

本郭跡(三角の山が猫山)

三角の山が猫山 奥が大高見峰(山頂から)

飯野山(讃岐富士)奥が青ノ山(山頂から)


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