【高知城天守・本丸内】 |
城郭の形式は梯郭式平山城。高知平野のほぼ中心に位置し、鏡川と江の口川を外堀として利用している。現在見られる城は、江戸時代初期に、土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工され、2代藩主「忠義」の時代に完成した。4層6階の天守は、一豊の前任地であった掛川城の天守を模したといわれている。
独立式望楼型4重6階、1重目の屋根を腰庇として3重6階と数えられることもある。天守台がなく本丸上に、直に礎石を敷き御殿に隣接して建てられており、このような本丸を最後の防衛拠点とする構えは慶長期の城にみられるものであるという。
創建時のものは享保12年(1727)に焼失し、延享4年(1747)に焼失以前のものを忠実に再建されたものといわれており、高欄を設けるなどのやや古風な形式(復古型)をとっている。
以上の文はウィキペディアより参照しました。
高知城は3回に分けて投稿します。(天守、天守・本丸内部、石垣(野面積))
写真は2010年12月8日撮影
詰門内

天守内



天守から見た風景



本丸内 仲間幸恵さんが功名が辻で着た衣装

欄間がシンプル




天守内



天守から見た風景



本丸内 仲間幸恵さんが功名が辻で着た衣装

欄間がシンプル



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